破急風光帖

 

★  日日行行(277)

2019.12.08

* 昨日の土曜は、切迫していた原稿をなんとか書き上げて、昼から、日本橋の「お江戸日本橋亭」へ。岡本流新内節の「納めの会」を聞きに行くために。

 半年前に師匠・岡本宮之助さんのもとで「名取り」になった宮弥さんに招かれて。この宮弥さんは、表象文化論の一期生、初代の助手(助教)でもあった高橋幸世さん。いまはニューヨークのブルックリンにお住まいだけど、7年前から、岡本文弥の後継者・宮之助師匠のもとで新内をマスター。昨日は、「恋娘昔八丈(城木屋)」のひき語りでした。
 この会、星文弥さんの岡本文弥作品「次郎吉ざんげ」の浄瑠璃が、わたしには滅法おもしろかったのですが、会のあと、明日には合衆国に帰るという幸世さんと1時間ばかりお茶できました。
 先週刊行された拙著『若い人のための10冊の本』で、ブルックリンのオレンジ・ストリートの写真を送ってくれたのが、じつは、幸世さんでした。いろいろなことをお喋りしましたが、25年前のことなども。夜いただいたメールには「先生は、ずっと、25年前も 今も 同じでホッとしました」と書いてありました。
 そういえば、昨日、とりあえず放り出した原稿のつづきで、ひょっとしたら、わがパリの友人黒田アキさんのアトリエで、95年だったか、幸世さんがアリアドネーのパフォーマンスをしたことを書こうかしら、とも思ったりしていたのでした。25年、つまり四半世紀。長い時間ですが、人間は「ずっと、昔も今も、同じ」なのかもしれません。そのように生きていられるということは、シアワセなことかもしれませんね。
 大学という場で教えて、そのほとんど最初の学生だった人と、このように長い時間を超えて、一本の糸がつながっているというのはすてきです。それこそ、大学の教師であることの果実のひとつにちがいないのだと思います。
 今週は、(秘密ですが)、こっそり新国立劇場にオペラ「椿姫」を観に行ったりしたのでしたが、ヴィオレッタ役のソプラノ・ミルト・パパタナシュの情感溢れる歌声にすっかり魅惑されていたわたしは、「椿姫」、新内にぴったりなどと思ったりしていました。
 恋の不思議や、気高さや、心のくるしみ、心のよろこび、わがからだにあふれきて・・・「悪縁なれど」、恋ぐるひ、ああ、Mysterioso! (ベベン!・・・とか) 老いの狂気のおそろしや、ですかね? おゆるしくだされ・・・


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