破急風光帖

 

★  日日行行(276)

2019.12.07

* すでに12月に入って1週間。前半は、ブルガリアから来日したボヤン・マンチェフさんたち一行との楽しい時間。後半は逆に締め切り接近の原稿に追われて、ブログをアップしている余裕がありませんでした。

 1日の駒場の「メテオール」の会は、そう言ってくださった方も多かったのですが、久しぶりに昔のUTCPの雰囲気で、わたしは楽しみました。なつかしの18号館ホールにまた登壇することがあるとは思っていなかったので。でもそうなると、つい「わが家」という気分になって、そのときも、壇にのぼってから、急に、観客の方々とブルガリアの一行とのあいだの「距離」を縮める必要がある。そのためには、わたしが下手な英語を喋るよりは、直接に日本語で語りたいという気になって、壇をおりて、いらしていた青学の同僚のストイローヴァさんに、ねえ、かれらに日本語でウィスパー通訳してくれない?と。彼女、長く駒場で学生もやっていた人なので、二つ返事で引き受けてくれました。で、わたしは、メテオールの人たちが、保健所から屠殺されかかった不具の犬を引き取ってきて大事に育てているんだよ、とかれらの人柄を喚起するエピソードをお伝えしたりしました。まあ、ヤスオ流ですね。わたしの感覚では、その話によって、一挙に、観衆の人たちのかれらへの親近感が増したと思うけどねえ。ひとりよがりかな?
 翌日は、かれらが慶応大学の土方アーカイブに行くのに同行しました。おもしろかったのは、土方さんの蔵書のなかに、前日、駒場で話題になったユイスマンスの「さかしま」の渋沢訳の訳本がちゃんとあったことかな。その後、わたしの友人の家でお茶会をしてもらったのですが、なんと抹茶一椀で、それまで体調不良でなにも食べられなかったアニーが復活。しっかり食べて、なんと夜は、全員で白金から代々木まで「歩いて」!帰ったとか。驚きのブルガリア人たちでした。
 その次の日は、今度は、ボヤンに青学に来てもらって、二人で哲学の話。でも、夜は、アニ、レオたちも加わって、また表参道の居酒屋へ。楽しい時間をすごしました。
 なんだろう、ボヤンはわたしより20歳も若いのだけど、なにか、心が通じ合うというか。こういう友人をもてたことは人生の喜びですね。今回は、アニやレオの「こども」時代の話もきいたりして、なんだかわたしも「メテオール」の一員という気がしてきました。


 


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