破急風光帖

 

★  日日行行(263)

2019.09.28

* すっかり秋の光。朝、横から突くように光が身体に刺さります。この光の切っ先に貫かれて、痛みというか、それとも幸福というか、「存在」の感覚が立ち昇ります。昔から、そうでしたね。いまから初冬の曇天に向けてが、わが「存在の季節」ではあります。

 わたしの(たぶん)人生最後の学期もはじまりましたが、先週に引き続いて、今週も映画へ。今度は文化村のル・シネマに行って、「ブルーノート・レコード、ジャズを超えて」を観ました。ボサノヴァとちがって、ジャズはわたしの精神の奥深くにしみ込んでいる音楽。すべてがなつかしい。そうだよなあ、音楽も、10代から20代にかけて聞いたものが、精神の核となりますねえ。笑いながら、しかしときには涙ぐみながら、観ておりました。そして、また、そのあと、若いときにはあまり聞かなかったプレーヤーのCDを買ったり。青春、やり直しです。でも、ブルーノートの経営者が、ナチを逃れて渡米してきた二人組だったことはまったく知らなかったので、びっくり。芸術は、どうしてもそれを育てていく人たちがいなければならない。ほんとうのセンスがある、そういう人に出会えるかどうか、がアーティストにとっては決定的ですね。(いや、アートだけではないけれど)。

 今週は、フランスから来た、わたしの表象文化論の最初の学生たちのひとりでもあるケイコ・クルディさんと会いました。彼女も、わが人生のなかで、その出会いの「織糸」がずっと続いていく人。フクシマの映画をつくっている映画人でもあります。わたしにとっての南仏の「星」ですね。不思議な関係。

 それと、今週は、フランスのシラク元大統領が亡くなったというニュースが、わたしを過去に連れ戻しました。シラクさんは、わたしが(短時間だけど)サシで直接対話をした唯一の一国の統治者。(ジョスパン首相ともお会いしましたが)。
 いまでもよく思いだしますが、日本通と言われていたシラクさんのレベルを確かめてみようと、昼食会の会場をたまたまふたりだけで歩いたわずかな時間に、40代のわたしです、ちょっと意地悪な質問をしたわけですね。日本のポエジーについてだったか。そうしたら、即座に、万葉集の歌をもって応答してきた。まいった、という感じ、完敗でした。なるほど、ここまで日本の文化についての造詣があるんだ、と感心しました。その後、シラク夫人の隣りの席に座って食事をしましたが、その光景が翌日の毎日新聞だったか、一面にカラー写真で載ってました(大岡信さんとかとご一緒でした)。
 思想は別にして、政治家の文化的レベル、ということについて、ショックを受けたいまだ忘れがたい経験でした。ここまで外国の文化をほんとうに「愛している」政治家!、わが国にいるのでしょうか?
 ご冥福を祈ります。


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