破急風光帖

 

★  日日行行(255)

2019.08.01

* 「しっかりとした構造をそなえた作品よりは、むしろそれぞれの刻に貫かれた無数のメモがそのままアモルフな仕方で、曖昧に連関しあい、絡み合って、そこにーーおそらく書く者のコントロールを超えたーー奇妙にカオス的なひとつの場が開かれるというのが望ましいし、必要なのだ。なぜなら、われわれの生とはそのような、本質的に未完成であり、カオス的であるようなものだから」。

 今度は1995年6月14日です。前回の「修論」からはちょうど20年後ですね。この年、文部省の在外研究員の資格をいただいてパリに行きました。そこで、Quintetと題した「小説」を書こうとしていた、そのメモ書き。これも、笑ってしまうのは、いまわが雑誌で連載している「火と水の婚礼ーーあるいは秘法XXI番」の書き方そのものだから。人間は変わらないねえ。(強いていえば、ようやくこの年になって、ほんとうにどのようにわれわれの生が「カオス的で」あるかがわかってきたということかな、カオスってでたらめではないんですね、裏の秩序があるということですね)。
 あのとき、このメモ書きとファクスの手紙を、新潮社の編集者の森田裕美子さんに送ったんですね、パリから。書きはじめるぞ、という意味だったか、どうも書けそうもない、という意味だったか。
 
 一昨日、二〇数年振りに森田さんにお会いするので、たまたま書棚に見つけたこのメモ書きとファックスを、笑い話のネタにもっていったわけです。パリで小説書けたら、出してくれるという約束だったんだけど、わたし、書けませんでしたね、と。でも、森田さん、小説、書いてみたら、と言ってくれた唯一の編集者です。忘れられません。
 『午前四時のブルー』の装幀を担当してくれているガスパールさんが、みずから下高井戸で開いている小さなカフェで、定年で新潮社はやめている森田さんとわたしが久しぶりに再会する場をセットしてくださったのです。ありがたいこと。一夜、楽しくワインを傾けました。こういう時間はすてき、まるで映画のよう。年をとるのもわるくはないとつくづく思います。
 Quintet、もちろん、アレクサンドリア・カルテットの向こうを張ったつもり。それにフォーサイスの影響もありました。いろいろなシーンが甦ってきます。
 ああ、カオスをモンタージュすると、それが道かな。

 そうそう、雑誌の第3号は、昨日、下版しました。今月中に刊行です。
 


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