★ 日日行行(254)
* 「存在への愛、それは決して救済も、幸福も、希望も約束しはしない。だが、それでも、この愛には詩人の心を〈満ち足らせ〉るだけのものがあるのであり、またそれがなければ、詩人というひび割れた鐘は、〈鳴り響くシンバルにすぎない〉のである。この愛こそが、乏しき時代における、まさにただひとつの地上の愛chariteなのであり、そしてそれこそが、ボードレールのすべての詩が湛えているあの限りない〈優しさ〉の源なのである。/苦悩douleur と優しさdouceur と、ーーーーこうして、ボードレールの詩は、〈人間〉というものの紛れもない痕跡であり、その存在の絶えざる〈傷〉の光を発し続けているのである」
先日、青学の研究室で、若い編集者の村山君と話をしていたとき、突然、かれが、「先生の修論とか、どんなものでした?」と。ああ、それなら、ちょうどこの隅においてあるよ、と取り出して、もうすっかり忘れているし、あれ以来一度も読み返したことのない「わが修論」を開いてみた。引用したのは、その本論の最後の部分。このあとに後記があって、末に「1975年10月−12月」と書いてある。
しかし、まったく学術論文的ではない書き方ですよね。まるでいまと変わらない。いささか、びっくり。なにしろ、今年の冒頭に刊行したわが雑誌「午前4時のブルー」のなかの拙稿でも、J'aime cette douce liberte terrestre douloureuseなんて書いてるわけですから、なんだ1975年とまったく同じじゃない!!修論のタイトルは「存在の冒険」だったし。つまり、25歳、ボードレールについて修論を書くことで、わたしは、わたしの「哲学」を見出したのだった。あとの人生は、それをほんとうに冒険することだった、とつくづく思いました。
わたしはよく学生に、卒論はレポート、まあ、小手調べ。博論は、学術的貢献が迫られるので、また全然別もの。修論は自分自身の発見、だから、それは一生つきまとう、とか言っていましたが、まさに!という感じ。こんな詩的批評的断言みたいな修論を、あの厳しい実証主義者である阿部良雄先生よくぞ、ゆるしてくれたなあ、と、いまさらのように感謝です。
「心満ち足りて わたしは山にのぼった」ーーーーボードレールの散文詩集のエピローグのこの言葉、そこに辿り着こうとしたわけですね、そのときのわたしは。
まあ、この年になると、わたしがいま言い返すとしたら、
心満ち足りて、それでもまだのぼるべき山はある、かな?
存在の冒険は、山を超えて、まだ続くとでも言ってみるか。
そう、道に終わりなし。道是無終。
これを、わが8月を開く言葉としよう。