破急風光帖

 

★  日日行行(249)

2019.06.29

* 今年もはや折り返し地点。どんより梅雨空。昨日の本郷EMPの講義を終えて、スケジュール表も一区切りかな。少しぼんやりしますね。

 昨日の講義、フランス現代哲学の講義だったのですが、実存から構造へ、構造からポスト構造へ、という流れを論じるのに、いつもとはちがって、指定図書にして読んできていただいている拙著『君自身の哲学へ』を軸に、この哲学の流れを自分自身がどのように生きたか、そしてその結果として、いま、どういうところにいるか、を語らせてもらいました。
 参考図書としてあげた自分の本を徹底して読んでみる、という視点。そこではじめて、わたし自身も、ちょうど4年あまりの時間の隔たりを置いて、この本がどういうものであったかを理解することができましたね。ポスト構造主義からその次へと進もうと、ブリコラージュ的思考を通して、自分の「哲学」を模索している。その「哲学」の最終的な方向は、「存在は愛である」ということ。それを、ほかの哲学者の仕事の解説などという形ではなく、クリティカルに探求しているので、自分で言うのもおかしいですが、アカデミズムには回収されない、もうひとつ別の「素朴さ」というか、「野生」というか、がある。いまだ再版もされないし、誰からも読まれているわけではないのですが、まあ、ヘボ哲学者のわたしとしては、これが精一杯かなあ、とも思いました。
 でも、受講生の方々からの鋭い質問にお答えしているあいだに、突然に、いま必要なのは、「地球の哲学」だと思います、と宣言してしまいました。自分でもびっくり。地球を哲学する。まだまだ宇宙にまでは届かないのだけれど、現代の宇宙論を背景にして、その上で、「地球の哲学」。しばらくのあいだ、この可能性について考えてみたいと思います。「夏の哲学」ですかね?
 こういう思いがけない刺激が与えられるので、講義をするということは大事ですね。ありがたいです。
 自分の講義のあとは、ゲストでいらした狂言師の野村万蔵さんのトークとパフォーマンスにも参加させていただいて、楽しい夜をすごしました。


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