破急風光帖

 

★  日日行行(248)

2019.06.21

* 明日は夏至。夏至というと、パリの明るい空が思い出されます。授業があるので、ほとんど行けない時期なのですが、記憶の空のなかを燕(マルティネ)の群が渦をなして飛んで行きます。

 しばらくブログを書かなかったですね。日常業務をこなしているうちに、あっと言う間に時間がすぎる。まあ、これもあと少しでしょうけれど。
 今週は火曜の夜に、渋谷の金王八幡社に工藤丈輝さんの舞踏を観に行ったりしたほかは、わが雑誌のための原稿を書いていました。今回は、Ouakninさんのテクストの結構長い翻訳を入れるので、わたし自身の原稿はいつもの半分にしました。そのかわり、Ouakninさんのゼミの出席記とか、パスカル・キニャールさんのお宅の訪問記とかも書きましたけれど。これまでの2号とはだいぶ趣がかわります。8月はじめには刊行したいとがんばってます。
 ほかに進行している本が3冊。しかしどれも日暮れて、道遠しかな。この夏には、どれも結着をつけたいですが。
 今週の青学の授業で、学生の発表が、なんとマーグ画廊の創始者エメ・マーグについて。マーグが出していた「鏡の裏側」という雑誌も話題になって、ああ、77年にはじめてパリに行ったときに、荒川修作の特集の号を買ったなあ、と思い出し、帰宅して家中、探したけれど、どこにもない。
 いずれにしても、自分が生きた時間がすでに「研究対象」になるということに、なにか不思議な感覚をもちました。その授業では、リトグラフというのがひとつのトピックになったので、それなら、わが友人の阿部浩さんこそ、日本でいちばんリトグラフを知る人なのだからと、今度、かれに青学に来てもらって、リトの魅力を語ってもらうことにしました。こういうのが、Yasuo流、臨機応変、人こそすべて。
 そう、誰か、フランスの戦後の詩とアートの中心にリトがあったという論文でも書かないかしら?そういう新しい発想が必要なんですけどね。でも、ルネ・シャールからミロ、マチス、ジャコメッティまで、詩もアートも全部わかるなんて大きさをもった若い人、もういないかな? ひとりのアーティストをとりあげて、アップアップしてるだけだと、未来はないですけどねえ・・・・と意地悪爺さんでした。


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