破急風光帖

 

★  日日行行(243)

2019.05.23

* 先日の日仏会館での基調講演のときですが、イマージュについて語りながら、わたしの人生において、イマージュ/エクリチュール/ディコンストラクションというどれも日本語には翻訳できない!三つのフランス語が決定的であったなあ、とつくづく思いました。

 もっともこの「イマージュ・エクリチュール・ディコンストラクション」から出発して、その後に、これも強いていえばですが、「出来事」、「行為」そして「態度」という方向へ舵を切りましたね。90年代のわたし自身の仕事は、そのような言葉によって導かれていたと思います。そして、それがある種の「モラル」の領域に接近する(「態度」というのはその印ですね)。そして、その先に、これも強いていえば、「秘密」、「祈り」という問題系が垣間みられるという方向。その次のいま現在の段階が「夜」と「光」かなあ・・・??

 もちろん、誰も、わたしの思考の展開などに関心をもたないわけですが、こういう機会に自分で多少、わが思考の「生き延び」を振り返ってみると、そういういくつかのステップがあるように思いました。ただ、どれも、わたし自身が大きな本を書いて、声高に自分のフィロソフィアを語ってはいないので、あくまでも「断片の思考」、瞬間的な出会いの思考にすぎません。
 でも、まったく忘れている昔のテクストを読み返す機会がたまたまあったりすると(今回の「イマージュ」のように)、まるで他者が書いた文章であるかのように読むのですが、いつも、ああ、君が言いたいことは、いまのぼくにはよくわかるけど、ほかの人にはまったくわからないのではないかなあ、と言いたくなります。こういうふうにしか、言葉を使えなかったんだなあ、と。どこか他の言語で考えているような感じがします。わたし、まだ日本語で「考える」ということができていないのかもしれませんね。まあ、言葉は大げさですが、わたしの「宿命」というヤツかもしれませんね。「考える」ということはいつでも、どこでも。「外国語で考える」ことなのかもしれませんが・・・・・
 


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