破急風光帖

 

★  日日行行(227)

2019.02.24

* なんだかブログ中毒になってきた。
 明るい暖かな日曜の朝。陽射しは結構、強い。春だなあ、と。日本にもって帰るコンテ・チーズを買いにブロメ街(ここにリオタール先生住んでいたなあといつも思い出すのですが)のいつものチーズ屋さんに買物に行きながら、「春」を思います。

 春老廻水 風搬古声ーーーちょっと空海調にした、インチキ漢文が頭に浮かびます。春老がいいか、老春がいいか。春が老いているのではなく、69歳にとっての春ということですけどね。でも、プラタナスの梢の先の突き抜けるような青空にささげますか。

 かつて定年のときに、UTCPでパーティをしていただいて、そのとき挨拶で、「今後は人生の果実を手に入れたいなあ」と言ったら、すかさず中島さんから「たくさんすでに手にしていらっしゃるじゃないですか」と言われたのをよく思い出すのですが、今回のこのパリ滞在こそ、あのときわたしが考えていた「果実」であるように思いますね。特別なことはないんです。ただ、パリという街に自分をもういちど「解き放って」、そこでの出会いを楽しませていただいているというだけ。でも、これが可能になるために、どれほど長い時間の織物のような出会いの糸がからまっているか、ということを思うわけですね。「果実」ってそういうことですね。時間が実るというか。ひとつの質が生まれるというか。
 わたしの世界はアートの世界ではなく、言語の世界ですから、あくまでも日本という場所で生きなければならなかった。笈田さん、黒井さん、原田さん、黒田さん(なんだか似た名前ばかりですね)のように何十年もパリに住むことはできませんでした。今回だって、さあ、そろそろ帰らなければ、という思いがしてきています。もういいかな、と。いちばんおいしそうなリンゴを一個齧って、さあ、帰ろうみたいな。

 こちらでも、原稿は書いていました。8000字くらいのエッセイを2本。それに、キニャールさんの会見記、ワックニンさんのほうは手をつけたけど、あまりの難解さでまだ見通しもたたず。ほんとうは、「未来」の連載の次の「幕」にも着手したかったし、1月の「京都フォーラム」で発表したデリダのFeu la cendre への応答的なテクストも再考したかったのですが、時間切れ。収穫は、イレーヌさんに頼まれたフランス語の詩的なテクストをなんとか第一稿は書いたことかな。送ってみたら、イレーヌさんからは、「とてもインスピレーションがわくわ、とてもいい」と言ってもらえました。不思議な連禱なのですけどね。まだかなり手を入れてリズムをつくらないといけませんが。いつかわたしたちのアーティスト・ブックができますね。(みなさん、買ってください、予約受け付けますよ!)
 
 今夜は黒田アキさんのアトリエで行われる会に行きます。そして、明日昼に、イレーヌさんと会って打ち合わせをしてロワシー空港へ、です。
 


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