破急風光帖

 

★  日日行行(220)

2019.02.19

* で、前項のブラジル人のサンドラさんとどのように会ったか、というと、これが北京経由なんですね。驚きでしょう?

 あるとき、15年前くらいか、蓮實重彦先生が中国から帰ってきて言うには、「北京大に君と同じようなタイプの先生がいたよ」と。北京大の「小林康夫」だね、と。そしたら、たまたまそのドン・キャンが日本に来るという。それなら会ってみようと、麻布の結構高級な鮨屋に招待してふたりで話をしました。フランス語でですよ。かれはフランス語ぺらぺら、わたしよりうまい。なにしろパリではミラン・クンデラの友達だったくらいだから。で、そのとき、双方がパリに行く予定があって、今度はパリで会おうとなったわけですね。で会ったのだけど、ドン・キャンが長年パリで住んでいたところが、じつはサンドラたちのアパルトマンのひとつ、ロハンの中庭の2階だったんです。そこに行ったら、今度はサンドラとパスカルが来月はじめて京都に行くという。それなら、とわたしは、かれらが京都に来たときに、東京からわざわざ出かけて行って、かれらを京都のわたしの友人たちに紹介した。すると、その後、かれらはその友人たちとすっかり仲良くなって、毎年11月にひと月京都滞在を続けているというわけです。
 で、ドン・キャンとわたしが似ているというので、ふたりが兄弟ということになり、サンドラはそのおねえさんということになって、中国ー日本ーブラジル(フランス)の3兄弟が生まれたわけですね。地球一周みたいな。それがいまでも続いているから、わたしはパリに来ると、姉さん、来ましたよ、と言うだけ。
 でも、そもそもは、蓮實先生の一言にわたしが反応して、ドンを麻布の鮨屋に招待したところからはじまった。また、京都まで出かけて、はじめて日本に来たサンドラたちを大原に連れていったり、御所に連れて行ったりしたところからですね。
 つまり、人に会おうとする純粋な気持ちみたいなものがすべてを動かしていく。損得なし。それが逆に、遠いところにまでわたしを連れて行ったりする。後には、サンドラ夫妻は、わたしをヴェネチアに招いてもくれましたし、いまでも、ヴェネチアにおいで、とも言われています。そこで日本文化について講演してくれとか。(そのヴェネチアのかれらの家で、坂部恵先生を連れていって、茶会をやったことを思い出しますね)。また、ドン・キャンも数年前にわたしを北京に呼んでくれて歓待をしてくれました。

 人文科学の根底にあるべきなのは、他者にたいする純粋な好奇心ですね。

 今回、サンドラとは、ドン・キャンと最近、連絡がとれないねえ、と心配しあいました。「弟」どうしてるんだろう?北京大の先生であるだけではない、とんでもない書道の達人なんですけどね。すごい人物です。
(なんとなく、こういう友情がどのように生まれたのか、を書いておきたかっただけですけど...)。


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