破急風光帖

 

★  日日行行(209)

2019.01.23

* で、予想通り、激しい1日でした。やはり舞台にあがると、もちまえの「道化』的プレイのテンションがあがって、つい「演じる」モードになったりするので。

 最初の東文研での発表は、すでに英語版がNet上のサイトにあがっているその日本語原文を読み上げただけなのですが、それが「カルテット」で4楽章、しかもそれに長い(ちょっと長過ぎましたね)のプレリュードと短いコーダがついていたので、計1時間くらい喋っていたみたいです。中島さんには、誰も読んだことのないこの日本語原文に一度は「声」を与えたいと言って、読み上げをさせてもらいました。わたしの20代、駒場という野原に燃えていたフィロソフィアの真正の「火」の思い出に捧げられた感謝のテクストなのですが、読んでいるとなにか自分の心のなかにわきあがってくる思いがあって、心乱れ、つい感情的になっていましたね。わたしの駒場の哲学へのレクイエムであったか。わたしがなぜUTCPをやったのか、その思いをはじめて打ち明けたということかもしれません。
 夜の六本木ヒルズでのトークは、わたしとしては、『世界の開き方』という試みを、自分なりに位置づけてみる、というつもりでした。あのトーク本には、いまの「知」が置かれているある種の崖っぷちの感覚がよく出ているということです。それを、新しい神学的なもの、そしてまったく新しい世界理解という二つのカオス的未来を予感させるものとして把握したつもりです。そして、わたし自身は、「量子哲学」をやらなければならないのではないか、と自問自答しました。わたしがやろうとしていることのひとつの方向です。それを複素数ベースでやろうというわけです。
 午後のセッションで、わがフィロソフィアの起源を振り返り、夜のセッションでその未来への方向をちらっと述べたつもりですけど・・・・なにか自分に返ってくるものが大きかったので、帰ってきてとても疲れたなあ、と思いました。めずらしいことですが。でも、それが、舞台で演じたということの証ですけどね。いい1日だったと思います。


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