破急風光帖

 

★  日日行行(207)

2019.01.20

*2日間にわたって(大阪で行われた)「京都フォーラム」から帰ったところです。中島隆博さんが座長で「日本哲学を構想する」というテーマのもと、米国からは旧友トマス・カスリス先生もいらして、あとは高田康成さんとか明治大学の合田正人さんとか。数名でじっくり討議する密度の濃い会でした。

 わたし自身は、日本の哲学者についての研究発表ではなく、かつて2006年だったか、ベルリンで行った謡曲の「檜垣」についての講演の延長で、それを、デリダの小さなテクストfeu la cendre(火ここになき灰)のパロディ的パフォーマンスとして演じなおすことで、「水のあはれ」を哲学するという狂言的趣向。じつは、今回は、わたしにとっての哲学の実践とはなにであったのか、ということを自分なり考えるチャンスとなりました。結論的には、わたしはやはり自分なりの仕方である意味では、哲学をしてきたなあ、というもの。体系もなく、概念的命題の構築でもなく、ひとつの詩学的な「ふぃろそふぃあ」をそれなりにそれぞれの場で演じてはきた。ふぃろそふぃあは演じるもの、そういう方向に傾いたのでした。
 会の討論の最後に、(日本)哲学を誰が行うのか?という中島さんの問いに、わたしはおもいがけず、呼びかけられ者、呼ばれた者だよ、という答えをしていましたが、世界から呼ばれたもの、と言おうかな。あるいは、これは1992年頃にわたしがあるテクストに書いたことなのですが、「デモーニッシュな存在を書く」、そういう方向へわたしはそれでも遅々たるふぃろそふぃあの道を蹌踉の歩みとはいえ歩いてきたのではないかな、そんなことを思ったりもしました。
 


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