破急風光帖

 

★  日日行行(204)

2018.12.29

* 去年の大晦日の本ブログのコメント「この1年を個人的に振り返ると、つくづく激しい年であったなあ、と」ーーーそれと同じことをまた言ってしまいそうです。

 今年も激しかった。去年とはちがって、今年は、駒場との長年のつながりに終止符がうたれたということもあり、個人的なことでは、実家の整理という厄介な問題もあった。いずれにしても、わたしをつなぎとめていた二つの大きな場から抜け出たというのか、解放されたというのか。拘束がなくなったのは確かですね。
 仕事もそれなりに、講演、講義、テレビ、シンポジウム、雑誌原稿など、かなりの数をこなしたと思いますが、やはり単行本は刊行できませんでした。かわりに個人編集雑誌が2号まで。単独よりは、ひとといっしょに本をつくることをずっとやってきているわけだから、わたしらしいとも言えますが。少し自分を責める気持ちもある。なにをやっているんだ、少しでも「わたし自身の哲学」を進めなければならないのに、と。
 でも、来年は、青山学院で教える最後の年度になるし、たぶん大学という場に身を寄せられる最後の年でしょう。となれば、宿題になっている仕事になんとか形を与えたいものだと思います。

 でも、来年は、世界が、日本がどうなるのか。昨年末以上に不安は強いですね。あちこちに破綻の兆しが見えていて、それを補う未来の統一的なヴィジョンはどこにもない。人間はどうなるのだろう、という根源的な不安も覚えます。
 でも、希望を語るのが、思考の義務です。で、どうするのか。とても小さなことから変化をもたらすしかありません。大きな図式を広げるのではなく、ほとんど無意味に思えるような些細なことのなかに潜在する新しい可能性を開くこと。それしかありません。そこから「われ」をいささか解体構築すること。そして、それこそが現存(プレザンス)だということを知ること。
 そう、まさにプレザンスこそは「激しさ」ですものね。

 2019年、カオスのなかにひとすじの光よ、あれかし!

 みなさま、ありがとうございました。


 


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