破急風光帖

 

★  日日行行(202)

2018.12.20

* 侏儒、化鳥、ゴーレム、鬼、地の精、縄男、そして蝶々蝶々、と。これは、日暮里のd-倉庫で行われた工藤丈輝さんのソロ舞踏公演「飴玉☆爆弾」で、工藤さんが生成=変化!した存在たち。

 よかったです。ああ、舞踏だなあ、と。工藤さんはパンフに書いてました、「求められるのは、不完全であること、見捨てられてあること、・・・・時間に薄汚れ、朽ち果ててあること、・・・明るくない、むしろ暗いこと、黙して語らないこと・・・・」と。「本質的な退行」という言葉も使ってましたが、すべてヒューマン以前の存在への回帰。わたしのなかにいる鬼、わたしのなかにいる化鳥、わたしのなかにいる蝶々。それがいま爆弾となって破裂する。一夜のサバトかしら。
 山田せつ子さんに続いて、工藤さんの公演を観ることができて、わたしの最終講義のあとのダンスを助けてくださった踊り手の友人たちの「いまのすがた」を確かめられました。わたしもまた、この老いぼれ退行したからだを引きずってでも、ダンスをし続けなければならない。それがわたしが引き受けたこと。それが「破急」。その決意を思い出させてくれた舞台でした。「約束」みたいなこと。
「約束」のない人生なんて意味がない。

 でも、今週はまだあった。サントリーホールのパリ管弦楽団のコンサート。ダニエル・ハーディング指揮の「田園」。泣きました。今年は「田園」の年でした。今年のすべての思いが、鳥のように、飛び立ったか。わたしの知らなかったわたしの「約束」であったのか、それもまた。
 ポリーニやポゴレリッチのピアノもすばらしかった(なんという孤独!)が、しかし舞台いっぱいに、(なにしろ田園のあとは、マーラーの1番でしたから)楽器と人が並び、そこから立ちのぼる音の波、オーケストラというものの祭典の素晴らしさ。最高のクリスマス・プレゼントでありました。


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