破急風光帖

 

★  日日行行(198)

2018.11.28

* 羽田に向かう飛行機のうすぐらい機内で、その日の夕方、15区のガリマール書店で買った本の一冊、出たばかりのジャン=クロード・カリエールの『無の谷』を読んでました。そうしたら、これもシンクロニシティか、「夜の明るさ」についての記述が続きます。十字架の聖ヨハネからスーフィスムまで。わたしの雑誌『午前4時のブルー」』の次号の特集は「夜、その明るさ」ですから。なるほど、これは神秘主義の奥義でもあったのだ、となんとなく納得。

 パリに行くたびに、書店でそのときの直観で何冊か本を買い込みます。研究のための書籍ではなく、自分の人生を照らし出す「燈台」をもとめて。それが、外国語を学んだ人間のひとつの義務ですから。そうすることで、わたしは日本ではまったく知られていない人をたくさん知りましたね。今回は、Jean d'Ormessonの最後の本『Un hosanna sans fin』もケイコさんからいただいて機内で読んでましたけど、この作家もフランスでは有名なのに、わが国ではほとんど知られていないのではないかなあ。そういうこともあって、わが雑誌の第3号には、ブランショの「弟子」と言ってもいい、しかもラビでもあるOuakninを紹介しようと考えて、すでにVincent を通じてコンタクトをとりました。来年2月に渡仏したときに、インタビューをしようかな、と考えています。

 カリエールの本のなかには、もうひとつシンクロニシティが隠されていて、それはルイス・ブニュエル。今回パリで会った人から、わたしが77年に最初に渡仏したときにエキストラとして出演したかれの最後の映画「欲望のあいまいな対象』のDVDをいただいたのですが、『無の谷』のなかに、ブニュエルの最期のシーンが書かれていて、ちょっと感動しました。1985年にかれが病院で息を引き取るとき、奥さんのジャンヌの手をとって、長い息を吐き、「Ya ma muero」(いま、ぼくは死ぬ)と言ってそのまま死んだというもの。パリ郊外の撮影スタジオでわたしが見た姿の8年後だったのか、となんだかこれも映画を見ているような気がしました。わたしは飛行機のなかでは、映画は見ません。せいぜい音楽を聴きながら、本を読んだり、ぼんやりしているだけ。でも、カリエールの本がわたしにとって「映画」を起動させるきっかけになる。そのときは、ポリーニが弾くドビュッシーが流れていましたね。

 そして日本の冬の朝。明るい光に満ちています。「重さ」が違う。パリの空間のあの「重さ」が消えて、からーん、とあけてます。
 さあ、旅は終った、授業に行かなければ。


↑ページの先頭へ