★ 日日行行(197)
* 土曜の午後3時だというのに、リヴォリ通りにほとんど車が走っていない。こんな光景見たことがありません。いわゆる「黄色いチョッキ』運動でシャンゼリゼもバスティーユ広場も、黄色のチョッキの人が集まりはじめて、道路を封鎖していました。
こちらは11区の「女性の館」で行われているPagesというアーティスト・ブックの市を訪れた帰りでした。そこに、わが友人のイレーヌ・ボワゾベールさんとヴァンサン・シュミットさん共同制作の聖書の「雅歌」が出ているのです。いい出来でしたね。久しぶりにかれらと会話を楽しみ、たくさん出ているほかのスタンドの作品も見て歩きました。イレーヌさんからは、今度は、あなた自身のテクストでひとつつくりましょうと言われているのに、なかなか考えが決まりません。夢の仕事です。
バスティーユ広場からそのまま歩いてポンピドウーセンターへ。そこで安藤忠雄展をのぞきました。展示は、わたしには、すでに東京の展覧会で見ているものが多かったのですが、とても多くの人がつめかけていました。ポンピドゥーセンターは、77年のオープニングにあわせて、わたしが人生ではじめてパリにやってきたときに訪れ、読書関係の新聞に3回にわたってその記事を書いたりしましたから、わたしのパリの原点のひとつです。そこからぶらぶらとサン・ジャックの塔の横を抜け、シテ島の花市場を通り、ソルボンヌの方へというおなじみの道。セーヌの濁った水を眺めて、ああ、パリだなあ、と。少し本など買物したりして、最後はサン・ミッシェル広場のカフェ「ル・デパール」(出発)で、さあ、どこへか、出発しようと、黄昏の光のなかを行き交う人々を眺めながらシャンパーニュを1杯のんでいると、パリにいる実感のようなものが湧き上がってきて、少しはしゃいだ気分になります。
その夜、パレ・ロワイヤルの泉の近くの道路から見上げた空には、17夜だったか、少し欠けて、でも美しい月がこうこうと輝いていました。ため息がもれてくるようなそんな月。「生きなければね」と、誰にむかって言ったのだったか。