破急風光帖

 

★  日日行行(195)

2018.11.22

* 昨日から南仏の「わたしの村」Biotに来ています。いつものホテルAux Arcadesに泊まって。階下のカフェで朝食です。村人が珈琲を飲みながらお喋りしているなかにまじって。Mimiという80歳を超えたこここの有名な女主人からカフェオレをもらって、バゲットをかじる。いかにもフランス的な朝食。新聞Le monde でフランス社会のいろいろな問題が語られているのを読みながら。

 こういう雰囲気は、もう、ほかではなかなか味わえませんね。便利で合理的なホテルはたくさんあるけれど、現地の生活のなかに溶け込んでいる時間を与えてくれるホテル。なにしろ、昨夜はたぶん泊まり客はわたしだけ。ということは、従業員などいなくて、夜は、この建物にたぶんわたしだけしかいませんでしたね。わたしの部屋は、2年前からNo.9の部屋と決まっています。ここはそれぞれの部屋に別のアーティストが絵を描いているので、わたしの部屋はイタリア人のアーティストによる「トンボ」dragon-flyの部屋なのです。ここに来ると、ほんと半世紀前のフランスの村のなかにいるみたいで、まるで映画。往年のフランス映画の一場面のなかにいるような気がしてきます。

 わたしの歳になると、新しい場所に観光客として行くことにはほとんど興味がなくなって、顔を出すと、やあ、また来たね、と言ってくれる人たちがいる馴染みの場所に行くのが楽しいのです。

 昨日の昼すぎにニース空港に着くと、ケイコさんが待っていてくれて、そのままビオットへ。ここは彼女の村ですから。ケイコさんのお母さんにもご挨拶。そして、夜は、アンティーブのレバノン料理のレストランで、数十名の人が集まって、「シンクロニシティ」をめぐってのシンポジウムでした。これは、ケイコさんと心理療法士のミシェルさんの企画で、2月に続いての第2弾。イベントにはLe fil d'or(金の絲)という名前がつきました。わたしが来るのなら、ということで企画されたもの。ヨハネ教会のグレゴリー神父、外科医でかつ画家のトマス、精神科医のグレゴリオさんとわたしの四人がパネリスト。最後にわたしが喋ることになって、時差で頭はぼんやり、語ることもないのに、いつものクセで、パフォーマンスをしてみたら、結構、受けました。司会をしたケイコさんはbestだったわよ、と言ってくれたけど。わたしにとっては、こういう企画こそ、最高のホスピタリティーですね。
 しかも、グレゴリー神父は、筮竹をもってきて、易について喋るんですから、おもしろいですよね?かれは禅も15年学んだそうですけど。こういう人が何気なくそこにいるというのがいいんですね。グレゴリオさんだって、アンゴラ出身の方、トマスさんはここで外科医をやっているけど(朝、手術ひとつしてきたと言ってました)ドイツ出身。さらには聴衆として集まってくれた人たちも、フランス人であっても出生地は、ベトナムだったり、アルジェリアだったり、いろいろ。これがいまの「世界」なんですよね。日本の集会にはない「開き」の感覚が自然と醸し出されているんですね。日本では、いつもどこか無意識の次元で、自分たちだけに閉じてますから。

 いま、隣りでは村の人たちが、なにやら建物の排水管のこととかで大声で議論しているのですが、フランス語、ほとんどわかりませんね。なにについてかはわかるけど。50年フランス語勉強したって、こんなもの。新聞は読めるのにね。でも、だからこそ、映画のなかにいるみたいなんですね。フランスからももうこういう場所は消えていくんだろうなあ。Mimiが元気なうちはまた何度も来たいですね。

 村のカフェで珈琲のんでるだけですが、この時間、この空間、この雰囲気、なにひとつ特別なものもないのですが、それだからこそ、とっても贅沢なのかもしれません。映画なら、さあ、このあとどうなるんだろう。小さな広場に出て、マグダラのマリアが守護神の小さな教会に行ってみようかな、石畳を歩いて村を一周してみてもいいかな。夜は、ケイコさんミッシェルさんを招いて、お礼の夕食会をしたいですけれど・・・・そうそう昨夜のシンポジウムでは、ソプラノ歌手のデボラさんが歌をうたってくれました。「椿姫」からだったな。それとアヴェ・マリア。彼女は、2月のこの会の映像記録も観てくれていて、わたしには、フォーレの「夢のあと」を捧げてくれるつもりだったと言ってましたが。いいねえ、彼女がうたう「夢のあと」とともに、わたしが糸杉のあいだを抜けて、葡萄畑を降りて、地中海のほうにしずかに消えていくというラストシーンはどうでしょう?
 夢のあと、そう、すべては「夢」!無数の波動が絡みあい、渦巻いて、消えていく・・・・・・・
 
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