★ 日日行行(193)
* 昨夜は成城学園にある小さなスタジオに舞踏の工藤丈輝さんのソロ・ダンスを観に行きました。工藤さんは、わたしの最終講義のあとのダンス・パフォーマンスにつきあってくださった舞踏家。とても小さなスペースで20名ばかりの客を前にしての即興的なダンスでしたが、かれの素顔が見えるような踊りで美しかったですね。
まあ、こんなふうにブログを書いていると、まるで遊んでるだけみたいかもしれませんが、この前には、水声社の編集者の井戸さんと会って、雑誌の次号のゲラ校正を返したり、「新潮」のための書評を書いたり、ぎりぎりという感じでもあるのです。でも、それだからこそ、機会があれば、アートの現場に赴かなくてはならない。わたしに言わせれば、それこそが、表象文化論の「掟」です。それができなければ、「去れ!」と言いたいかな。
もっとも、わたしのほうは、東大定年後、生活から会議がほとんど消えてしまったのが大きいですね。会議なしの生、ほんと楽。大学生活のなかで、会議がいちばん嫌い。そのつぎが試験、採点。この二つの重荷から解放されたいまの生活はシアワセ。「特任」という教授会メンバーではない資格でわたしを雇用してくれている青山学院に心よりの感謝です。(会議のなかでも、教授会って最悪ですものね!!)
青学では、今週の水曜の授業、今年から青学にいらした建築史の伊藤毅先生と合同授業をやってみました。建築にとって美とはなにか?というテーマを掲げて、ふたりで、人生で感動した建築のことを語りあったり。楽しかったですね。日頃、授業を複数の教員でやることを主張しているわたしとしては、わが意を得たり。授業という密室がどれほど、大学教員の精神を閉鎖的なものにしているか、自分中心の自分勝手な(くだらない)尊大さみたいものに毒されるようになるか、と感じているわたしとしては、密室の壁をこわして、風を通すことは楽しい。4名もほかの先生方も聞きにきてくれて、ちょっとしたシンポジウムみたいになりました。わたしはル・コルビュジエのロンシャンの教会について語らせてもらいました。すると、あの建築と出会ったときの喜びが戻ってきましたね。
明日は、青学の総合文化政策学部創立10周年のイベントで、「人間はいまどこにいるのか?」というパネルが青山アスタジオのホールで開かれます(15時から19時まで)。わたしは総合モデレーターということになってます。難民の問題、国境を超えること、AI時代の人間の問い直し、と白熱のパネルが期待されています。
それを終えて明日の日曜にはフランスに飛ぶのですが、そうしたら訪問予定の南仏ビオットから、わたしが来るのに合わせて、ミニ・シンポジウムをオーガナイズしましたという連絡が入りました。プログラムつきで。もと表象文化論の学生だったケイコ・クルディさんと心理療法士のミッシェル・ペリスさんの企画です。これこそほんとうの「歓待」。嬉しいな。20年以上前の昔の学生といまでもこうして国境を超えた「つながり」があるということ、人間はいま、地球という一個の惑星の上に「いる」ということを、個人的なつながりを通してこそ、自覚するべきだと思いますけどね。