破急風光帖

 

★  日日行行(177)

2018.09.22

*急速に秋。今週は、月曜に軽井沢の写真家の高木由利子さんのパパラギ・スタジオでの不思議なサモワール茶会に参加。Miho美術館の館長の熊倉功さんご夫妻とはじめてお会いしました。そして翌火曜は、これまた写真家の宮本隆司さんのお宅を訪れて、わたしの個人編集雑誌『午前4時のブルー』第2号に写真を載せていただくためのご相談と対話。そして安藤朋子さんの手料理をいただいたりしてしまいました。

 フランスの画家イレーヌ・ボワゾベールさんからも今夏、グリーンランドを旅行したときにこの雑誌のために書いてくれた不思議なテクストとスケッチ作品も送られてきていて、いよいよわたしの「庭」が立ち上がりつつあります。こういう仕事、やっぱり好きですね。わたしはほんと、本質的には編集者的精神なのかもしれません。
 今日は少し時間に余裕があって、またKazuo Ishiguroの短編A village after darkを読んだりしましたが、結構、身につまされる気配が漂っていて、まさにわたしもAfter darkか、気持ちがちょっと共振しました。あとは、空海をめぐって中島さんと行った対談に手を入れたり。なぜか二日前に研究室からもってきたリルケの『美術書簡』を、再読ですが、読みふけったり。で、そこで、今日立ち止まったのが、「犠牲」という言葉かな、1914年2月17日の手紙に「犠牲とは、自分の内部のもっとも純粋な可能性に対する人間の、いかなる場合にも制約を受けることのない、無限の決意にほかならないのです」とリルケは書いていて、これがかれのひとつの転機へと導くわけですが、なるほど美しい定義です。自分の内部のもっとも純粋な可能性ーーそれをどう見出すのか、この秋の広がりに問うしかありませんかね。


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