破急風光帖

 

★  日日行行(172)

2018.08.19

* 金曜から秋の気配。空の雲も筋雲になって、夏の最後を蝉がうたっている。前回、エクリチュールへの思いを書きつけたのに、まったく起動しない。あらゆる次元において激しかったこの年の前半が一段落して、少し気が抜けたか。

 秋にソウルでやるはずの講演の準備などもしながらではあるのだけど、ひさしぶりに自由な読書を楽しんだり。訳者の和田忠彦さんからいただいたウンベルト・エーコの『女王ロアーナ、神秘の炎』上下2巻を一晩で読み通すのからはじまって、いまでは、英語オリジナルでイシグロの短編集「ノクターン」を読んでます。フランス語の本は、ジャン=クロード・カリエールと物理学者のティボー・ダムール「世界の多数性についての対話」など、まあ、三か国語を跳び移って読書という感じ。そうそう、英語については、ソウルの講演が英語であることもあって、まったく錆び付いている貧しいわが英語力を少しでも取り戻しておかなければと、振付家のTwyla TharpのThe Creative Habitを毎朝、数ページ朗読してますね。まあ、ある種のHabitが問題なので。

 エーコの『女王ロアーナ』は、エーコらしい企みに満ちていて感心しながら読みましたが、わたし自身はこの「神秘の炎」La Misteriosa Flamma」という言葉に魅惑され、それを夢みながら読んでいたのでしたが、物語の全体は、あまり「神秘」には行かずに、少年時代の戦争の記憶というリアルの方に流れこんでいくので、ちょっとはずされた感じもあったけど、いや、さすがの技!でありました。
 金曜はまさに「この夏の終りの日」という感じもあって、恵比寿にイヴ・ロベール監督の「プロヴァンス物語 マルセルの夏」(1990年の作です)を観に行きましたが、20世紀初頭の南仏の生活が美しく描かれていてすてきでした。昨年秋に車で通ったあの石の風景、日本にいてはけっしてわからないあの山塊のたたずまい等々。いつも思うけど、日本にいてセザンヌを観ていては決してわからないことがあるよなあ、と。わたしには、もうフランス語を教える仕事は終っていますけど、こういう映画をこそ、フランス語を学ぶ学生たちに見せたいですね。いまはもう、ここで映されたような「フランス」はもうほとんどないのですが、しかしフランス文化ひとつの核があるのはたしかです。原作がマルセル・パニョールですから当然でしょうけど、会話が洒落ていておもしろい。学生には、字幕を見ないで、耳で見ろ、とか言ってみたいかな。
 わたしだって、この映画を観てはじめて、braconnier (密猟者)というフランス語がどういう響きなのかがようやく合点がいった感じがしましたものね。
 で、A dieu! です。
 


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