破急風光帖

 

★  日日行行 (168)

2018.07.18

* 7月もすでに半ばをすぎて猛暑の夏日が続きます。ふと気がつくと、7月は当ブログを更新していませんでした。一度、書いたものが操作ミスで全部消えてしまったあと、リズムが取り戻せませんでした。

 今年の前半の激しさを乗り切ってほっとしたせいか、7月に入ってどことなく気分的に低迷だったかな。そのなかでも、オペラシティの「イサム・ノグチ」展のオープニングに行ったり、「グッバイ、ゴダール」という秀逸な映画を観たり、駒場の若い学生たちとの対話のゼミを行ったり、いろいろ動きはあったのでしたが。なぜかブログに書くリズムに乗れませんでした。
 いま、書いているのは、東京大学出版会から刊行予定の中島さんとの共著の本のための最後の原稿。日本文化のマクロなパースペクティヴを問う本ですが、これまで、空海、世阿弥、漱石と扱ってきて、最後、戦後の誰かを梃子にして、世界における日本文化の問題を語ろうとして、紆余曲折があったあげく、最終的に、武満徹さんになりました。じつは、武満さんを論じるのは、わたしのキャリアの原点。『無の透視法』のなかに収められている2本の武満論は、わたしにとっては、自分の言葉で対象にクリティックなアプローチができるという感覚をはじめてつかめた経験を与えてくれたものでした。いま、読み返してみても、言葉は生硬だが、いまの自分の精神とそれほどちがわない感じがしますね。前のブログに武満さんからいただいたお手紙が出てきた話を書きましたが、その影響もあるのか、武満さんのエッセイから引用させていただいて、その「問いの力」を学ぶという趣旨のテクストを書かせていただいています。
 今日は、これから夏学期の最後の授業。いよいよ夏本番。この夏をどう生きるのか、今後の人生にとっても、結構、重要かもしれませんね。


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