破急風光帖

 

★  日日行行(161)

2018.06.15

*「先日は音楽会を聴きに来て下さってありがとうございました。また感想を送り下さりたいへん嬉しく思いました。十月からパリへ行かれるとのこと、私も今年は頻繁にパリに行くと思いますのであちらで一夜ゆっくりお会いしましょう」、と書いているのはなんと、武満徹さん。

 昨日、豊島区の実家(母親は施設に入ってしまいいまは無人です)の片付けをしていて、みつけた埃だらけの黒いファイル。あけたら、若干の手紙と原稿。その手紙類のなかに、武満徹さんからの葉書と封書がありました。これは、78年の夏、その秋にはパリに留学するという年の夏。この葉書のことば通り、武満さんは、パリに着いたばかりのわたしを誘ってくれて、フェスティヴァル・ドートンヌのコンサートの演奏者のみなさん(高橋アキさんもいらっしゃいましたね)との食事に誘ってくださった。この葉書をいただいたことなどすっかり忘れていましたが、そんな文通のドキュメントが出てきました。
 この黒のファイルには、私自身にとっても驚きでしたが、ジョン・ケージからの封書も。これは、どうもわたしが雑誌『エピステーメ』のために原稿を頼んだようで、その答え。もちろん自筆で、Unfortunately you ask me at a time when I have no time!というまるで公案みたいな一行でした。
 ほかにも、わたしの師であった宮川淳先生からの葉書、吉増剛造さんからの封書など。なんだか胸がつまって、開けて読むことも憚れます。
 でも、極めつけは、大岡昇平さんの自筆原稿かな。芥正彦さんのもとで、わたしが編集をしていた雑誌『地下演劇」のために書いてくださったモーツァルトについてのエッセイ「地下のモーツァルト」。いまでもその原稿をいただきに成城学園前のお宅にうかがったときのことを思い出します。大きな400字詰め原稿用紙6枚。あちこちに修正、増補の手が入った原稿です。これはもっていることは覚えていたのですが、どこに行ったのかなあ、といつも思っていました。とうとう見つけました。そう、実家の押し入れは、わが20代の生の痕跡のクローゼット。もちろん、友人たちとの文通だって、段ボール2、3箱分が残っていました。それに一山の写真とか。いったいこういう過去の痕跡をどうしたらいいのか。けっして戻ってこない時間の痕跡。
 わたしはじつはそれに対するノスタルジーも愛着もそれほどないのですが、しかしなにかその時間に対する「敬意」リスペクトみたいなものがありますね。あるいは、「感謝」と言うべきか。その時間があって、「いま」がある。いや、「いま」の忘却のなかに、これらのモーメントは残りつづけている。砂浜で光の角度によって、なんでもない砂粒が一瞬、宝石として輝くように、これらの時間がきらっと輝く。美しいですね。
 美とは、時間が時間を超えることなんて言ってみようかな?
 


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