破急風光帖

 

★  日日行行(159)

2018.06.08

* 前回、京都のホテルで、さあ、これから原稿書きます、と書いたあとで、まちがったUSBをもってきたことがわかって、結局、仕事はできず。その後、大阪に行って、これまで一度も行ったことのない住吉大社にひとり行きました。昔は海岸だったところがいまは埋め立てられて、松はほとんどなく、しかし楠の大木がそびえていました。明るい、強い明けでしたね。

 とばたばたは続いているのですが、昨日は、柏の東大柏キャンパスにあるKavli IPMUで、哲学・数学・物理学の討議の会に参加。中島さんと物理学者の村山斉先生の呼びかけに応えたものでしたが、哲学の側は、梶谷さんに、千葉雅也さん、國分功一郎さんら、数学が斎藤恭司先生ら、物理学がバークレーの野村泰紀先生、山崎雅人さんらと多彩なメンバーで、白熱討議が大学で4時間、場所を変えて3時間と激しい1日でした。
 わたし自身は、高校時代は物理志望で理Ⅰ入学ですから、もとより物理/数学への興味は持続していて、今回も重力波とかヒッグス粒子とか、多少は勉強していったのですが、議論は、基本はマルチバース理論や、カントさらにメイヤスーの哲学などをめぐって。最初の顔合わせですが、これからの哲学は自然科学の最先端をこそ学ばなければならないと日頃、主張していることもあって、こういう機会がこのレベルで実現したことに、とても嬉しい思いをしました。(この内容については、UTCPの本サイトに報告があがると思います)。
 わたし自身は、このところ怠けていたが、駒場の最終講義で少し話しをした四元数的構造をもっと展開しなければならないと、鞭をもらった気がしました。数に対抗するイメージの哲学ですね。世界という想像力の哲学。アクセルを踏まなければ、カーブが曲がれません。
 でも、千葉さん、國分さんと駒場の元学生のみなさんとこういう場を共有できるというのは嬉しいですね。全然、形はちがうのだけど、なにかが続いている、駒場的と言ってしまおう、ある精神のあり方みたいなものが持続しているという実感をもてるのは、教師だった人間にとっての最大の喜びです。

 そして、今日もまた、連続になりますが、夜は、神楽坂で國分さんと対話です。わたしの雑誌をめぐって、國分さんに対話を受けてもらいます。ありがたいこと。


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