破急風光帖

 

★  日日行行  (155)

2018.05.27

* 前回ブログに対して、本人の木許裕介さんから応答をいただきました。

 メールには、「『その人のまだ知らない何かを刺激したいだけ』という先生のクレドに僕は救われ、道を自分から切り開く勇気を頂きました。先生のその思いはきっと、これからも次の世代に響いていくことを信じて疑いませんし、私もいつか、そういうふうな存在になりたいと思う夜でした。」と書いてくださっていて、嬉しいです。でも、このためには、「刺激」に対して、感受性が高いというか、貪欲であることが必要です。自分自身の世界を信じることができる強さというかな。自分というまさに「謎」を、簡単に解いてしまって安心するのではなく、「謎」として生きるという覚悟というか。わたしはときどき教室で、(これまるでデュラス的発言ですが)「ぼくは自分が知らないことを教えたいんだよ」と言い放つことがありますが、自分が教えたことすらわからないような仕方でこそ、「教える」が起るということですね。もはや「教える」ではないのですが。

 木許さんは、追伸メールで、わたしの講義について書いたご自分のブログのアドレスを送ってくれました。そうすると、わたしが教室でジャコテのテクストを読んだのが、2014年の10月だったということがわかります。そのことは、わたしのほうは、ほとんど忘れているわけですが。なるほど、わたし自身、去年の秋に、桑田光平さんとともに、ジャコテさんのお宅にうかがって、92歳の詩人と会ってお話しをするようになったのは、こういう時間の積み重ねの果てなのだなあ、とあらためて思います。縫い糸が布の表と裏を縫って続いていくように。

 木許さんのメールは以下のようでした。
「ジャコテを読み上げる先生の声に不意に涙したのは、2014年10月のことでした。
(http://kenbunden.net/wpmu/kbd_kimoto/2014/10/15/%e5%90%8c%e3%81%98%e3%83%ac%e3%82%be%e3%83%b3%e3%81%a7%e3%80%82/)

おなじく10月に、私は先生の前期教養学部の最終講義のはじまりに触れ、震えていたようです。
(http://kenbunden.net/wpmu/kbd_kimoto/2014/10/10/%e5%a4%8f%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%88%a5%e3%82%8c/)

過去に書いた文章を読み直していて、自分が先生にどれほどの影響を受けたのかあらためて痛感した次第です…。」

 どうぞ、みなさまも木許さんのブログをお読みください。
わたしとしては、かれが、やはり音楽の人、「声」に感動してくれているのに、感動しましたね。
そう、「声」なんですよね。わたしがジャコテさんの詩を読み、それはわたしの「声」であり、まさにシャーマン的に、ジャコテさんの「声」であり、また同時に、誰でもないものの「声」であり、pourquoi pas、木許さん自身の「声」であったりするのです。文学も音楽も「声」の出来事。
だからこそ、その人に会う、その人と「向かい合い』vis-à-visになることが大事なんです。「向かい合い」の眼差しはもちろん同時に、敵対的な関係にもなるのですが、不思議なことに「声」は「重ね合わせ」が効くのですね。

 指揮というのは、きっと複数の「声」の「重ね合わせ」をアレンジすることですよね。まるで生け花のように。「声」は「花」なので。(わたし自身は、幼年時代よりいつも「声」に問題を抱えていて、いつまでたっても自分の「声」が花開かないのですが。わたしの「声」はなかなか届かない、と思います。濁っているし。掠れるし。木許さんだから、それでもその「誰でもないもの」の「声」を聞き届けてくれたのかしら?と思ったりします)。

 声は襞であり、襞のように空間に沁みとおっていきます。そうして、どこかちがう場所へとわれわれを連れて行ってくれる。デリダの哲学の出発点は『声と現象』でしたが、その「声」は、自分が自分を聞くという「声」でした。でも、それだけじゃない。「声」は、もはや自分の「声」ではなく、誰でもないもの「声」、その意味で、天使的な「声」にもなるのです、と思わず湧いてきた言葉、ままよ、書きつけておこうかな。
 


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