破急風光帖

 

★  日日行行  (152)

2018.05.15

* 結局、木曜から昨夜の月曜まで5日間連続してキニャールさんたちと夕食をともにすることになりました。

 土曜は、こちらはNHKの番組の収録があって駒場の会は前半しか聴けなかったのですが、収録のあと帰りに駒場のレストランに寄って、少しおつきあい。日曜は、日仏会館での全日のシンポ、午後のセッションを聴いて、そのまま館長のセシルさんのところでの歓迎パーティに参加させてもらいました。昨夜は、フランス大使公邸で行われたキニャールさんのコンサートに呼ばれて、その後、なんとわたしが初日にお連れした広尾の同じレストランで、みなさんが打ち上げをするのに少しだけ参加。 わたし自身は、ひと前で喋るいかなる仕事もなく、ただ「友人』としておつきあいしていただけ。いっしょに散歩したり。こういう時間が流れるのがなかなかいい。昨夜のかれのピアノも素晴らしかったですね。かれのエクリチュールと同じく、激しいタッチで空間を刻みこむみたいな。そうすると、美しい「悲しみ」が造形されて浮かびあがってくる。キニャールさんにそう感想を伝えたら、ありがとうと言われましたが。こちらは、「美」というものは、どこかで「悲しみ」とつながっているよなあ、という感覚をいまさらのように深くしました。存在するということの悲しみ、人間であることの悲しみ。その根源的な悲しみこそ、アートの根底をなす情感のひとつの層、そのもっとも明らかな層であることはまちがいない。「美」として造形されることで、その「悲しみ」がなんと、不思議な「幸福」、自分だけではない、他者にとっての「幸福」に転化するのですが。
 悲しみの錬金術ーーーそれがこの5日間で学んだことの一部ではあります。
 もし「言語もまた岸辺にすぎない」のだとしたら、それは、「悲しみ」という水の「岸辺」なのだ、と言ってみようかな。(昨夜のコンサートのタイトルは、「岸辺の歌」でありました。)「悲しみ」は水と流れて、ブルー。そのように。
  


↑ページの先頭へ