破急風光帖

 

★  日日行行  (141)

2018.03.16

* 思わず泣きそうになりました。昨夜、1年間駒場でお世話になった女優の安藤朋子さんや演出家の藤田康城さん、画家の日高理恵子さんらと、いろいろな意味をこめた会食の場であったのですが、冒頭、安藤さんのパートナーで、わたしも昔からよく知っている写真家の宮本隆司さんが、何気なく小さな黒いアルバムをわたしにくださった。

 開けると、最初に1月の「Komaba Square」の最終場面でのわたしの「眼差し」の写真があって、それにも感動したのですが、頁をめくると「JUNE 30, 1995」の日付のあとに、わたしとわが師・ジャン=フランソワ・リオタールとのツーショットの写真。なんという不意打ち。涙が滲みました。「せんせ〜い」と声をあげたい感じ。お会いしたのがこれ最後の時。そうか、宮本さんといっしょだったんだ、すっかり忘れていた。朝日新聞の仕事でした。
 リオタール先生が、長年連れ添った奥様と離婚して(お二人の最後の旅で伊勢・京都をわたしは案内したのでした)、それまで住んでいたブロメ街のアパルトマン(ここにも学生時代お邪魔したことがあったなあ)から、マレー地区の建物最上階の小さなアパルトマンに移った直後だったはず。そのとき先生が、「昨日、きみのこと夢に見たよ」とおっしゃっていた。そんないろいろなことが奔流のように、わずか一瞬にもどってきて、渋谷のイタリアン・レストランのテーブルにいるのに、しばし別の次元に心が運ばれました。
 わたしはナンテールだし、先生はすでにヴァンセーヌだったから、正規の学生ではないのに、先生、よくしてくれたなあ。先生の別荘にも泊めてもらったことがあったなあ。と、いまごろになって、先生の「やさしさ」というか、「openness」に感動しますね。Merci. こころから、と言いたいなあ。このツーショットの写真はいままで知らなかったのでした。
 このとき宮本さんといっしょに、デリダのオフィスも訪ねていて、そのときのデリダ単独の写真はわたしももらってもっているのでしたが。リオタール先生と二人で並んでいる写真なんて奇跡です。大事にします。ああ、90年代、いい時代だったなあ、と、しみじみ思いますね。

 でも、過去に溺れているだけではいけませんね。この夜、藤田さん安藤さんの劇団ARICAとソフィアのボヤンたちの劇団Meteor とをつなぐ夢のプランなどの話しもしました。
 時間は人を引き離しもするけれど、また思いがけない仕方で人と人とをつなぐこともある。春の夜の夢が夢で終らないように。Acteへと自分を奮い立たせなければなりますまい。


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