破急風光帖

 

★  日日行行 (138)

2018.03.03

* 二日前の夜、寒波襲来のヨーロッパから帰国しました。結局、この間、あまりブログを更新することができませんでした。それほど「激しい」旅でした。しかし、この激しさは、苦痛なものではなく、幸福なものであったと思います。

 前回のブログは南仏から帰った直後でした。その後は、駒場のIHSプログラムの研修に同行し、パリ、メス、ロンドン、またパリとめぐって、学生たちと同じ便で帰国しました。粉雪舞うロンドンも、大石先生のオーガナイズで労働者地区であるバッタシーを歩いたりと新鮮な出会いがありましたし、パリも(わたしのイニシアティヴですが)バスティーユの日本人女性が経営する画廊でのセミナーなど、いろいろなことがあったのですが、個人的には、メスのポンピドゥーセンターでの森村泰昌さんのパフォーマンス「日本 チャチャチャ」が極め付きでした。
 なにしろ、ここで投影された映像は、1995年にわたしが駒場で仕掛けた、森村さんがマリリン・モンローとして降誕した授業=イベントの映像で、一瞬ですが、900番講堂に立っている、23年前のわたしが映っていたのですから。ああ、これを見るためにこそ、わたしはここに来なければならなかったのだ、と人生の不思議な「編み物」に感動していました。おおげさに言えば、「わたしの駒場」がこうしていま、世界の舞台の上にのっている、というか。なにしろ、このパフォーマンスを観るためにニューヨークからも数人の人がやってきていて、たぶんこの秋には、このパフォーマンスはニューヨークに行くことになるからです。
 こうやって、自分が生きた瞬間が「もどってくる」という感覚は不思議な感覚です。これこそ、幸福と言っていいのでは。これは、Japanoramaという日本の70年代以降のアートの展覧会の一部であったわけですが、わたし自身もこの展覧会のカタログにテクストを書いています。じつは、1年前はキュレターの長谷川祐子さんから頼まれたこのテクストをどう書いていいかわからず、悩んでいたのですが。パフォーマンスが行われるスタジオに行くと、素敵なフランス人女性が寄ってきて、Yasuo!とすぐに、親称での会話。90年代にフランス大使館の文化部にいたエマニュエル・モンガゾンさんでした。覚えていてくれたのか、と嬉しかったのですが、彼女、Yasuo、あなたのテクストよかったわよ、と、お褒めの言葉。嬉しいですねえ。フランス人にそう言ってもらえて、安心しました。これも幸福以外のなにものでもありません。
 バスティーユの画廊にも、かつて表象文化論の学生だった、いまをときめく照明デザイナーの石井リーサ明理さんが、ファッション美術館での仕込みの最中なのに、わざわざ駆けつけてくれたし、親友のカトリーヌ・グルーは、ただBonjour!を言うためだけに、やってきてくれました。それに、留学時代の将棋仲間でもあった画家の原田宏も。まあ、平凡だけど、生きてきてよかったなあ、みたいな感覚ですね。
 この旅、このように、古くからの時間の再生があり、まったく新しい出会いと呼びかけがあり、
わずか3週間でしたが、これまでのどんな旅にもなかった、自分の人生の「再編成」という「激しさ」がありました。古い友情、新しい友情に、深い感謝です。
 68歳、ますます空を見上げて、生きていける。
そう言えば、最終日に、これも旧友、わたしの「ブラジル人の姉さん」であるサンドラと夫君のパスカルさんの家にちょっと寄ったのですが、元スイユ社のオーナーでもあったパスカルさんが、Yasuoは, gamin(子ども、いたずら小僧)みたいに見えるなあ、と一言。いいね、名誉教授なんてくそくらえ、Gaminでいたいね、いつまでも。


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