破急風光帖

 

★   日日行行 (132)

2018.02.05

* 昨日が立春、2月のこの時期になると、気温はまだ低いものの、透明な光が斜めに射し込んできて、なにか「新しい時間」がはじまるという感覚になります。

 もっともその感覚の一部は、明日(6日)がわたしの誕生日だからということもある。68歳、なんだか他人事のように笑ってしまいますね。どこか不真面目な感じですね。
 今年は、その翌日の7日にパリに発つことになっています。パリから、ブルガリアのソフィア、あるいはニースやメス、そしてロンドンへと足を延ばす予定。ソフィアでは、ボヤン・マンチェフのところで講演をひとつ。ニースでは、ケイコ・クルディほかとシンポジウム、最後に、IHSの研修で東大の院生や大石先生らとメス、ロンドンに趣きます。駒場のわたしの仕事のほんとうの最後です。
 すでにこの3月末で駒場を離れることは表明しておいたとおりですが、この区切りを、なんとかこれまでわたしが知らなかった「世界」への転換点にしたいですね。社会的になにか新しいことをしたい、という意味ではなく、わたし自身にとって新しい世界を見出してみたい。世界の神秘、人間の無気味なまでの深さ、生命の途方もない魅惑のようなものを、より一層深く味わってみたいということですね。ほんと、わたしがこれまで知ることができたものなど、ささいなものにすぎません。それを全部捨てるというほどの覚悟はないけれど、それにとらわれないで、未知の光景に出会いたいです。
 
 先日、驚きの本が自宅に送られてきました。
 箱入り830頁の大部の一巻本(定価20,000円!)。笠井叡さんの『金鱗の鰓を取り置く術』(現代思潮新社・刊)。副題は、「大石凝真素美『真訓古事記』備忘録」です。とても一言で言える本ではありません。なにしろ、真正の出来事の書物でありました(と、言いながら、もちろん、まだ読み通せているわけではなく、いくらかの頁に「触れて」みただけの感触なのですが。)冒頭の「序」に、この「備忘録」のエクリチュールが2013年フランスのアンジェで突然にはじまったことが書かれています。いかに「扉」が開いたか、の物語。
 そうです、きっとわたしが求めていることも、こういうこと以外のなにものでもないですね。わたしにそういう出来事が到来するのかどうか、いかなる保証もないし、万一、なにかがやって来ても8頁くらいのテクストしか書けないのでしょうけれど、それでもいい、自分にとって真正でありさえすれば、それでいいのです。「夜」の扉のふちに、銀色の羽がひとつひっかかっているということになるのか、それは空中へと持ち来された「金色の鱗」かもしれませんよね。
 いずれにしても、笠井さんのこの本、途方もない本です。あらゆる束縛を解除した本です。「聖なる」一冊であるのかもしれません。(不思議なことに、そこに書かれているある「技法」、わたしが最近、たまたま見出したある「技法」とどこか接点がありました。そこに勝手に感動しました。)


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