★ 日日行行(137)
* 前回のブログからすでに1週間以上。ほんとうはソフィアでの出来事を何回かにわけて書くつもりだったのに、パリでも、今夜、そこから戻ってきた南仏のビオットでも、いろいろ予想していなかった出来事が起きて、なかなか文章になりません。
ひとつ感じるのは、新しい季節にあっというまに突入した、ということかな。2月7日、68歳の二日目からはじまった今回の旅は、大げさに言えば50年間、愛とパッションを注いだ駒場という場所の拘束から自分の精神あるいは存在が脱け出て、異なったモードへと転換する「旅」であったのでは、と思います。つまり、これまでと異なる呼びかけ、異なる出会いがあるということ。
ビオットで行われたシンポジウムもそうでしたね。去年の11月に続いてわたしがビオットを訪れることを契機にして、ケイコ・クルディさんと心理療法家のミッシェル・ペリスさんが、ほかの3人のパネリストを招いて、個人の邸宅のサロンで行ったものですが、そこに、50名くらいの多様なひとたちが集まってくる。自分のなかの異世界への「扉」をどう開くのか、が共通テーマだったのですが、精神療法の専門家の医者や、禅にも易にも通じている司祭、若いときに体外離脱の経験のある日本人アーティストといった強烈な体験をもったひとばかりのなかにあって、語るべきいかなる経験もない老哲学者のわたしであったのですが、それでも「扉」についての話をすると、聴衆が拍手をしてくれたりする。大学という場所では味わうことのできない雰囲気ですね。そのあともワインなどを飲みながら楽しく会話。置いてあったグランドピアノを弾きはじめる人もいる。また、易のカードを引いて司祭に占ってもらう人たちもいたりして、華やかなソワレの趣きでした。
でも、今日になると、聴衆のひとりであった医者の女性からは、9月に別のシンポジウムを行うので、あなたも来てくれないかしら?とメールが入っていたりする。わたしの話に耳を傾け、それをもっと聞きたいと言ってくれるひとがいるわけで、驚き。しかも、すぐに反応として顕在化して、スピードをもって事態が進んでいくという感じがします。ここには、大学の名前とか肩書きとかは関係ない。わたしの言葉をちゃんと聞いてくれている、ということ。まだ返答はしていませんけど、少し無理をしても行こうかな、という気になりますね。
(ニース空港に行くまえに、ケイコさんが、アンチーブの岬に連れていってくれました。冬の地中海。遠くにアルプスが見えます。打ち寄せて、岩にあたって碎ける波。)