★ 日日行行 (136)
* ガラスの天井を透かして、階上が見えるのだが、そこになんと両肩にそれぞれ1メートルはあろうかという翼をつけた天使がひとり、ゆっくりと歩いている。そのまま天使はしずかに階段を降りてくる。と、もうひとり今度は、ブルーの長い衣服を着た、これもまた、天使の面立ちをした女性が胸に竪琴を抱えて現れ、彼女もまたゆっくりと階段を降りてくる。
すると「舞台」の上には黒い衣服を着た若い女性が現れて、なんととてもていねいな日本語でテクストを読み出す。驚きましたねえ、しばし茫然。これは、昨日、ソフィアの新ブルガリア大学の美しいギャラリーで行われたわたしの講演の直後のこと。数十人のお客さんが来てくれて、立ち見も出る満員。わたしもテンションをあげて、フランス語で最近の仕事を踏まえた「来るべき哲学」についてのわたしの「態度」がどのようなものかを語り、それをボヤン・マンチェフが逐次通訳。100分ほどの、自分で言うのもおかしいのだけど、「熱演」だったのですが、質問を少し受けたところでボヤンが終りの挨拶をして、わたしに観客席に座るように、と誘導。
すると、そのまま天使の登場という次第。しかも、そのあとには、天使たちが奏でる竪琴とギターの音にあわせて、ブルガリア語とフランス語と日本語で読み上げられるテクストが二つあって、それがなんと、わたしが20年前にフランス語で書いた詩であり、また、去年、ボヤンから頼まれて即興で書いた「雲」という詩。つまり、わたしの二つの詩作品を、天使たちが三か国後で朗読するパフォーマンスを用意してくれたわけ。まいりましたねえ。完敗という感覚。わたしもずいぶん海外で講演したこともあるけれど、このような「歓待」、しかもわたしを「詩人」として遇してくれるような「歓待」を受けたことはありません。ボヤンの友情に感動し、またたったこれだけのことのために、どれだけの準備が必要かがよくわかるわたしにとっては、なんとありがたい経験であるかと、ほとんど涙が滲みました。ほんとうに、天使から「祝福」を受けた感覚です。
その前日には、ボヤンとふたりで、ソフィアでもっとも古い聖ジョルジュの教会を訪ねて、5年前にいっしょにそこに行ったときから、われわれの一種の「合言葉」でもある、とても古い天井の天使のイコンを見上げていたのでしたが。しかも、われわれが入っていったときに、そこでは、正教の司祭がミサを捧げていた。そのイコンの天使の顔と大学に降誕したブルーの長衣の天使の顔はどこかよく似ていたのでした。その天使が、わたしの詩をブルガリア語で朗読しながら、わたしに微笑む。陶酔の瞬間でしたね。ボヤンの言い方なら、「奇跡」ということになると思います。ソフィアはわたしにとってはほんとうに「知」の、そして「奇跡」の街であるのです。