★ 日日行行 (131)
* 先週の木曜に駒場のIHSプログラムの番外授業を行い、そこではいくらかの追補とともに、わたし自身が駒場という場所にいたそのあり方というかスタイルについて回顧的に述べて、駒場というわたしのシンフォニーのコーダということにさせてもらいました。
翌日も國分さんがモデレーターのUTCPのシンポジウム「What can philosophy do?」に出かけて、友人のドミニック・レステルさんなどのトークを聞きましたが、発言はせず。あとの会食で赤ワイン2本を提供しただけ。静かに消えて行こうとしています。
それにしても、ゲスト2名がフランス人で、國分さんだってフランス系なのに、そのトークが英語で行われるという事態に、わたしとしては、たしかにもうわたしの時代ではないなあ、との感慨も深かったですね。この会のテーマも結局は、いま、この時代、どれほどすさまじい速度で文化変容が進行しているか、だったわけですが、その徴候は、まさにこの会自体にすでにあったわけです。
わたしもここ十年くらいは国内外で、ずいぶん、下手な英語で講演などもこなしましたが、フランス語というものひとつに人生を賭けたみたいな関係は英語にはもてません。一昨年、東文研で、日本の戦後文化について英語で講義をしたときに、もう英語の講義は勘弁してください、と中島さんに言いましたが、このドミニックさんの会のときもひさしぶり普段使わない英語の脳細胞をつかったせいか、夜も活性化した細胞が休まらず、睡眠が難しかったですね。聞いていただけなんですけどね。
わたしとしては、新しい時代を追いかけるというよりは、わたしのスタイルを貫いて、しかし人類史的なスケールのこの文化革命の進行を見届けたいと思っています。たとえカタストロフィーが来ようが、それでもその先に「人間」がいることを信じて。