★ 日日行行 (121)
* 順序が逆になりましたが、ご案内のとおりに24日(金)駒場でボヤン・マンチェフさんの講演会を行いました。アナクシマンドロスの「アペイロン」をめぐってのスケールの大きな話し。「大地」ではなく、「海」の、「航海」の哲学でしたね。
そういえば、わたしもかつて「海の真理」というテクストを書いたよなあ、などと思い出したりして楽しかったのですが、聴衆は少なかったですね。さいわい金沢からわざわざこのために星野太さんが駆けつけてくれたり、國分功一郎さんが来てくれたり、参加者のレベルは高く、全員が質疑応答して「盛り上がった」のですが、「駒場」からは大池さんと村松真理子先生が来てくださっただけ。フランス語ということもあり、駒場祭の最中でもあったわけですけど、駒場におけるフランス語的世界への関心の急速な低下を感じてしまいました。見知らぬ他者と出会い、見知らぬ他者から学ぶという学問の基本的な姿勢が、なんだか内向きの自分の関心領域だけの引きこもりに置き換わってしまったような。「わたしにとっての駒場」は終ったな、と深いため息とともに。これは、前回のトマス・カスリスさんの講演会のときにも感じていたことですけどね。
ボヤンとは、講演会の前日に、いっしょに安藤忠雄展を観に行ったりしました。また、講演会の当日にも、もうひとりブルガリアの方を招いて、わたしの友人に、茶室での茶会をかれのために催してもらいました。そのときの「お軸」が渡辺華山の「帰去来辞」。織部の茶碗でお濃茶をいただいたのですが、テーマは必然的に「切腹」ということになり、しかしそれをボヤンはきちんと受けとめて、昨日の帰国の前に送ってくれたメールにも、そのことを考えている、と。
こういう感受性と交流できることの幸福。かれには、来年2月、今度はわたしがソフィアの天使たちにふたたび会いに行くから、と言っています。わたしの自宅の机の上の壁には、いまでも4年前だったかソフィアから持ち帰った天使の絵葉書2枚が飾られているのです。かれとのあいだに湧き上がる、光と雲と夜と稲妻と海と天使のカオス的「星雲」をこれからも感じていきたいですね。
しかし、わたしもまた、「帰りなん、いざ」の心境であるのもたしか。「田園まさに荒れんとす」。とすれば、いったいわたしはどこに帰るべきか。田園から帰るところといえば、もう山しかないのかもしれませんが。