破急風光帖

 

★   日日行行 (114)

2017.10.14

* もう2年半前になりますが、駒場の最終講義のあとに、サックスの清水靖章さん、舞踏の工藤丈輝さん、ダンスの山田せつ子さんの助けを得て、ダンスを踊った。その友人たちの公演が先週、今週と続きました。

 先週の土曜は、山田せつ子さんのダンスソロ「箱の中/外」を観に三鷹の「School」へ。小さな白い空間のなかで、せつ子さんが、白/黒の衣装の間で激しくみずからを問うダンスを展開するのを観ながら、そこに、自分を投影するというか、ある程度のキャリアを経てきて、いま、あらたに自分を問うということの複雑な感覚を共有するかのような感覚をもちました。
 そして昨日は、高円寺の「座」で、工藤丈輝さんのこれもソロダンスの「恐怖の恋」。昨年末に新宿の小さな小屋で初演を観たのでしたが、それが「座」の大きな舞台に展開されて、しかも完成度が高くなって、素晴らしい出来でした。工藤さんの世界が大きく立ち上がってきていて、その「暗黒」のあり様に、これも勝手に、共感するというか。そう、これは、いま、わたし自身が自分を問うている場所とけっしてちがってはいないと思えたのでした。
 そして、来月は、サックスの清水さんのコンサートもあるのですが、残念なことに、フランスへの旅と重なっていて、聴きに行くことができません。
 しかし、なんとすごい人たちに「共演」をお願いしたのだったろう、と2年半前の自分のパフォーマンスがどれほど得難いチャンスであったのか、あらためて噛み締めた1週間ではありました。
 しかし、せつ子さんも工藤さんも、自分の世界を問い、立ち上げていました。ひとりの人間が自分の世界を表現しつづけるということの激しさ。(それ以外に「激しさ」なんてないんですけど)。それを果敢に実践し続ける素晴らしい友人たちを得たことの喜び。わたしもわたしの「夜」をなんとか開かなくてはならないと決意を新たにしなくては。
 昨日の工藤さんの舞台を観ながらも思いましたが、まこと人の生は、ひとつの「夢」のようなもの。最近はそんな思いが強いです。が、この「夢」という言葉は、ここでほんとうに、ある種の存在感や物質感のあるものとして言われているのですが、それは、わたし自身にも、若いときにはなかった感覚です。一瞬、しかしいつでも千年。一瞬にして、波のように揺れ続ける「夢」。


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