★ 日日行行 (111)
* 「眼には見えないのだが、雲のなかには、夜がある
誰も、誰でもないもの以外の誰も、感じることができない、かぎりなく軽やかで、ほとんど無であるような
それでも、そう、ときどき、どうしてなのか誰もわからないのに、
その無限小のほとんど無がぐるぐると回りはじめる
ぐるぐるぐるぐる、速度をあげ、ついには激しい渦巻きとなって
すると、〈稲妻・・・そして夜!〉
夜が一個の稲妻として渦巻くのだ」
7月30日の当ブログに書いたように、ブルガリアのボヤン・マンチェフから「雲」をテーマにテクストを書いてくれて、と言われて、即興、10分でフランス語の詩を書いたのでしたが、9月になって、それを舞台で読むから日本語の翻訳も送れ、と。すぐに送りましたが、その舞台の映像が届きました。(冒頭の引用はその前半部分です。もちろん、ボードレールが下敷きのひとつです)。
フランス語はボヤンが読み、日本語はその舞台に参加した星野太さんが読み、さらにブルガリア語の朗読と計3カ国語の朗読で上演されました。竪琴の響きも入って。わたしもその舞台に立って即興で詩を読み上げているかのようなイマージュにとらわれました。ありがたいことですよね。自分の言葉が、遠く離れたブルガリアの人々の「耳」に、「心」に届いているということは。
(興味がおありの方はぜひごらんください。)
https://www.youtube.com/watch?v=__hlQu_LC1U&feature=youtu.be
マンチェフさん11月の後半に来日することになっています。かれとなにかいっしょにやりたいですね。
こうして、わたしはおかしなことに、少しずつ、いわゆる「詩人」ではなく、「吟遊詩人」、つまりバードのほうでトゥルバドゥールのほうではありませんけど・・・違いがわかるかな?ーーーになっていきます。インドのあの山のなかの劇場で行ったパフォーマンスがまさにそれでした。
いずれにしても、激しい9月、September Steps がなんとか終って、ほっとしています。パブリッック/プライヴェート、フィジック/メンタル/スピリチュエル、あらゆる次元で苛酷ではありました。10月の静かな光を願っています。
(でも、昨日は、本郷で中島隆博さんと日本文化の根源について2時間の対談を行ったあと、浅草の六区の小劇場で、ボディ・ペインティングの不思議なパフォーマンスを観てきました、9月の最後の激しさだったでしょうかね)。