★ 日日行行 (106)
* 「ひとりの人間の生にとってもっとも重要なことは、〈人と出会う〉ことである。すべては出会いからはじまる。このことの意味の重さがわかることが、きっと年を重ねて成熟するということかもしれない」
二週間前に刊行された東京大学教養学部編『分断された時代を生きる』(白水社)のわたしの原稿の冒頭。これは駒場で行われていた「高校生のための金曜講座」を再録する形で刊行された論集。2冊同時に出たようです。わたしのテクストは、2014年、わたしの駒場最終年度に、ちょうど駒場博物館で開催されていたジャコメッティの「終りなきパリ」の展覧会にちなんだ講義を行ったものを、それ以降に「学部報」や『絵画の冒険』に書いた原稿などもパッチワークして、全体的に書き直したもの。わたしの人生にとって、ジャコメッティと出会うということがどういうことだったかを、わかりやすく書いたものです。
あたりまえだけど、わたしはジャコメッティに会ったことはない。にもかかわらず、「出会う」のですね。それこそがあらゆる人文科学の根底にあるのだ、ということを語っているつもりなのですけれど。
人に出会うには、それなりに覚悟もいるし、また自分自身を変えていかなくてはならないこともある。他人を自分に出会わせるのではなく、自分から出会いに出かける。そこには謙虚さと同時に、想像力が必要です。そういう基本的な態度が、このインターネットの時代、ますます失われつつあるように思います。情報をやりとりするだけで、どこにも「心」がないような。「心」を忘れてしまったかのような時代。
おりしもいま、国立新美術館ではジャコメッティ展が開かれていて、オープニングに出かけた話しはすでにこのブログにも書きましたけれど、先週、もう一度、じっくりと観に行ってきました。ノートをとりながら。でも、難しいですねえ。展覧会もまた「出会う」ための場のはずなのですが、どのようにジャコメッティに出会うのか、どのような演出を通してなのか、いろいろ迷い、考えることも多くありました。
7月ももう終り。昨日、青山学院での修論中間発表会とラウンドテーブルを終えて、今日から夏休みかな。今夏は、少し引きこもって、自分の精神の方向性を問いただすつもりでいますけど、さあ、どうなるか。たぶん昨年のように、noteをここに書きつけることはしないと思います。(気分次第ですけどね)。
ブルガリアのボイヤンからメールが来て、それに応じて、フランス語で「雲」についての詩を書きました。秋のかれの舞台で読み上げてくれるそうです。これこそ「出会い」ですね、「雲」のような「出会い」。
来春にソフィアをまた訪れたいなあ、と思っています。