破急風光帖

 

★   日日行行 (103)

2017.07.12

*「70億人の一人ひとりが、ひとつの例外であり、可能性であり、同時にけっして解けない謎でもあるのだ」(アンドレア・ブランジ)

 今週の月曜、本郷のEMPプログラムの枠で、みずほ銀行の幹部の方たちを前にして、フィロソフォアの講義をしたのですが、そのとき、昨年夏のイタリアのミラノ・トリエンナーレの枠で、二人のデザイナー、日本の原研哉さんとイタリアのアンドレア・ブランジさんが組織した「Neo-prehistory」(新・先史時代)の展覧会がいかに「いま」の転換期をよく指示しているかと話したときに、いつもながら、その展覧会の冒頭のブランジさんの言葉を引用しました。ここに、どれほど深い哲学的な理解があるか、哲学というのは、けっしてヘーゲルやハイデガーについて学として語ることなどではなくて、このような人間の理解へとまっすぐに向っていくものだ、と。
 去年わたしが出会った言葉のうちでこれがわたしにはいちばん美しかった。「一個の例外にして、謎」そのようなカオス的な可能性、そのようなものとして、自分自身を引き受けること。フィロソフィアはそこに尽きてしまいます。

 その夜は、恵比寿の日仏会館で、今年館長として着任した、旧友のセシル・坂井さんの招きで、一月ほどまえにいらした新任のフランス大使ピックさんを囲む少人数の会食に参加させていただきました。最近はあまり大使館との関係もなかったのですが、ひさしぶりの会でした。昔から知っている「ル・モンド紙」の特派員だったポンスさんに再会できたのもよかったかな。
 そして、昨夜は、駒場で桑田さん、松浦寿夫さんらと、フランスの現代詩を読むVergerの会。少ない人数で、小さな詩を2つ、いっしょに読みこむことができて、幸福でしたね。そうそう、日仏会館での会食では、フランス人ばかりの会話にわたしの聞き取り能力がついていかなくて、わがフランス語能力も限界だなあ、とがっくりきていたのですが、それでも、いや、そのようにあくまで他の言語であるからこそ、それを前にして、佇むことで、自分の精神が開かれていくのを感じるのですね。フランス語というどうしても自分のものにならない「ことば」と、それでも、一生かけてつきあい続けることができることに、深い歓びを感じますね。
 昨日は、電車のなかで、「ronce」という言葉を考えていて、突然、インスピレーションが閃いたのが楽しかったですね。会では、みなさんにそのインスピレーションを受けとめてもらって、展開させることができました。詩、その可能性について考えています。わたしにとっての詩、それが何であるのか、この夏、どうしてもアプローチしなければなりません。
 
 


↑ページの先頭へ