破急風光帖

 

★   日日行行 (102)

2017.07.07

* 昨日の朝、南多摩斎場で、岩佐鉄男さんの葬儀がありました。訃報を得たのが、4日火曜、その日の朝に亡くなったと。衝撃的でした。

  かれが昨年1月から食道がんで闘病しているということはまったく知りませんでした。ほんとうに不意の衝撃。いろいろな意味で心が乱れます。なにしろ、東大68年入学のSⅠ2Dの同級生。それが、同じように「文転」し、2年留年して、教養学科フランス科に進学。さらに比較文学比較文化の大学院へそろって進みました。修論はわたしが2年で書いたのに、かれは3年かけたので1年ずれたが、ともにデュシャンの大ガラスの複製をつくるチームに入っていたし、いっしょにデュシャンの対話の本を翻訳したりした。わたしはフランスへ留学をしたけれど、かれはしなかったので、そこで道はわかれたのだったが、わたしが86年から教員として駒場に戻ってくると、その2、3年後にかれもまたもどってきた。そして、同じようにフランス語ー表象文化論という看板で研究者=教員をやってきて、一昨年同じ歳で定年退職。これほど、軌跡がパラレルだった存在はないと言っていいでしょう。
 だが、そのような鏡像的でもあろう関係というのはむつかしい。同じ場にながら、いや、同じ場にいるからこそ、いつのまに関係は困難になり、不可能になり、いつか対話も途絶えていました。だからこそ、今週、わたしはいわく言い難い複雑な心理状態。
 それは、まだ続いていますが、しかし昨日の葬儀のなかで、かれの最近の写真が多数映し出されて、そこに静かな笑顔を浮かべたかれの姿を見出したのは「すくい」ではありました。
 いまは多くを語ることばはありません。かれの魂の安らかなれ、と祈りをささげるのみです。
 


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