破急風光帖

 

★   日日行行 (99)

2017.06.24

* 6月は関係する財団の会議が集中する月で、それに加えて大学での授業もある種のピークで、先週、フランス大使館の公使のバレッツさんを囲む小さな昼食会に出席したりはしていますが、ほかには特別な仕事はなかったわりには、結構、緩みのない1週間でした(そうそう、でも、火曜にデザイナーの佐藤卓さん、建築家の内藤廣さん、武蔵野美術大学の森山明子さんと「デザイン」について短い討論会をやったりもしてますね、財団がらみではありますが)。

 その合間を縫って、昨日は、映画を1本。「ターシャ・チューダー 静かな水の物語」(松谷光絵・監督)。「庭」に興味があって見に行ったのですが、ほんとうに「静かな、しかし断固として強い」生の貫き方に脱帽!という感覚でした。わたしも、どう老いるのか、という問題を真剣に考える時期に来ているわけですが、見事なお手本というか。これからこそ、ほんとうの自分の人生がはじまるべきなのだ、と説得されました。ストーリーがあるわけではなく、バーモントの山奥のターシャのコーギコテージの庭がえんえんと映されるだけなのですが、これこそが映画でなければ伝えることのできない「光」ではあるなあ、と。そう、今年の正月に、今年は「映画を観ること」を復活しようと思ったのでしたが、先月から少し実践しているわけです。
 その夕方、財団の会議のあとで少し時間があったので、21−21デザインサイトではじまったばかりの「そこまでやるか」展も駆け足で観ましたが、最初の部屋のクリストのドキュメントで、クリストが語る言葉を聞いていて、それもターシャの言葉と重なっておもしろかったですね。つまり、人間はいくつになっても、自分の世界をこの世界のなかに構築する意思をもたなければならないということですね。まっただなかに、ね。ここ、それが「まっただなか」。
 ついでですが、今朝、ジャン=リュック・ナンシーさんから俳句のような短い謎の挨拶が届いていました。元気そう。もちろん、すぐに俳句的に応答しておきましたけど。
 今日は、これから駒場で安藤朋子さんの「歩く」ワークショップです。可能なら、少し前に行って、あの広い空間にわが老身を解き放ってみたいもの。


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