破急風光帖

 

★   日日行行 (90)

2017.05.12

* 緑いよいよ色濃く。わずか2、3週間のあいだに木が鬱蒼と青葉を繁らせるのを見て、あらためて自然の生命力に感嘆します。

 連休中は、少し山の空気を吸いに出かけたりもしたのですが、今週は、またいつものfurorが戻ってきました。

 でも、ちょうどいま頃は、ジャン=リュック・ナンシーさんとパートナーのエレーヌさんが羽田から帰国の飛行機に乗り込む頃、元気にお帰りになることができてほんとうによかったと安堵しています。わたしは、なんのお手伝いもできなかったのですが、一昨日(10日)に退院なさって、みなさんと会食をするということをきいて、慶應大学の市川先生のおゆるしをえて、青学の夜の授業も少し早めに切り上げてそこに参加させてもらいました。今回、ようやくナンシーさんとお会いできて、少しでもお話しできて、嬉しかったですね。81年のスリジー・ラ・サルの第1回のデリダのコロック以来の、わたしにとってのフランスの哲学の「生ける燈台phare」の最後のひとりですから。その会にいらしていた西谷修さんや鵜飼哲さんほど親しいわけではないけれど(4年前くらいにソルボンヌのカフェでふたりだけで1時間ほどお喋りしたことを思い出します)、大事な人ではありますので、お会いできて幸福でした。前回、かれが駒場にやってきたとき(2007年)、かれのトークに応答して書いた短いテクストを収めたわたしの仏語論集(それもLe coeurがタイトルの一部ではありました)を差し上げたりしました。

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 じつは、その日は、青学の授業の前に、ある企業の雑誌の取材を受けたのですが、そのテーマが「雲」。思いつきで「雲の哲学」について語りました。なかなかスリリング。そして昨日は、駒場のIHSの授業で、昨年11月に韓国のヨンセ大学で行った「草の美学」についての講演を再演しました。考えてみると、「雲」と「草」とは相呼応しています。境界線上のカオスの形態。「雲の哲学/草の美学」はわたしにとっては、ひとつの「道」であるようです。では、それに続くのはなにか?きっと「空」ですね、というわけで、明日は、画家の日高理恵子さんと木蓮の樹を見上げながら、「空」についての対話を行うことになっています。草、雲、空、その向こうは月か、星か?いや、星雲かもしれませんね。そのような方向に、わたし自身の想像力が広がっていくことを!


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