破急風光帖

 

★  日日行行 (95)

2017.05.27

* 「私たちは自分自身であるだけではないのです。私たちはこの世界に生きていて、歴史でもあり、すべてでもある。私たちは人間なのですから、自らの内に人類の歴史に起ったあらゆることを聴いています。あなたはベートーヴェンなのです。彼の音楽を聴いているときにかぎらず。そして、あなたはいつだってシェイクスピアなのです。」(ヴァレリー・アファナシエフ)

 昨日、メトロのなかで読んでいた。前日、文房具を買いに入った近所の書店でたまたまみつけて買った講談社現代新書、ピアニストのヴァリリー・アファナシエフの「ピアニストは語る」。かれは、わたしの好きなピアニストのひとりで、とりわけブラームスのCDを愛聴したかな。もちろんコンサートにも2、3度行ったことがある。かれの『天空の沈黙」という本も読んでいるのだけど、今回、この新書を読んでいて、感動しました。それは、ハーモニーということ。ある意味では、わたし自身がまったく哲学的な思考として考えている「存在と時間」の問題を、「音楽」として、これほど明快に言い切っているということに深い共感を覚えたと言ったらいいか。そうだよね、と頷くことが多かった。わたしは、74年にロシアから「西」へと亡命したアファナシエほど激しくも豊かな人生を送っているわけではないし、徹しているわけでもないのだが、しかし2、3歳年上になるかれの言葉に、人生の同じ位相に立つ人間として、まさに「わたしはアファナシエフである」という感慨をもちましたね。
 で、昨日、本郷のEMPのサロン形式のトーク(絵画についてだったのですが)の冒頭に、この言葉を引用して読みあげたりもした。でも、多くの人にはわからない感覚かもしれません。アファナシエフがいう「自己」というものがある程度、確かめられている人にしかわからないのだと思います。「自己」があってこそ、「ベートーヴェンになれる」わけなのですが。これこそ、アートというものの究極だ、と語りかけて、昨日は、わたしの人生にとって「ジャコメッティである」ことがどういうことだったのか、を少しお話ししたりした。
 もうすぐ国立新美術館で展覧会がはじまります。そうそう、今月は白水社から夏に出る駒場の「金曜講座」をもとにした本のために、3年前、駒場博物館の展覧会にあわせておこなったジャコメッティ講義を書き直したりもしたのでした。


↑ページの先頭へ