★ 日日行行 (83)
* 闘牛士、背中に何本も槍を突きさされた闘牛、大きな顔がふたつ・・・そうしたフォルムが消えていく。トイ・ピアノのメランコリックな音楽とともに、消えて、あっという間にもとの真っ白なカンヴァスだけがそこにある。ああ、わたしの生もまた、このように消えていく、と惜しむ。ひさしぶりに「惜しむ」という言葉が心のなかで反響していた。
先週は今年度最初の授業に加えて、本郷のEMPの講義、NHKの収録(「歯」がテーマでした)と重なったのだけど、メイン・イベントは、KyotoGraphieの招きで来日したミケル・バルセロの京都・二条城でのパフォーマンスに立ち会い、京都・文化博物館でのショヴェ洞窟の映像展示場でかれと1時間の対談を行ったこと。いや、10日にかれが来日した直後に東京のセルバンテス協会で行った映画とトークも聞きに行ってるし、12日には数人で麻布のお鮨やさんで歓待の宴をもったりしたので、あらためてミケルとの友情を活性化させた週でした。『ミケル・バルセロの世界』(未来社)を刊行しているわたしとしては、やっと日本に来てくれた、と嬉しい春です。
KyotoGraphieも今年がはじめて観ることができました。この主催者も、なにしろ「Yasuoは日本のパパ」と公言している、昔からの知り合いのリュシール・レイボーズなのに、5回目にしてはじめて観たのだけど、その質の高さに感動しました。あの3・11の夜に、四谷の彼女の家に泊めてもらったことをいまでもよく思い出しますが、震災を受けて彼女は京都に移住。そして、この国際写真展を立ち上げたというわけ。すごいパワーです。ミケル・バルセロを十数年前に紹介してくれたのも彼女でした。そういう国際的な友情が、どれだけわたしの乏しい人生を豊かにしてくれたことか、背中に「槍」もいっぱい刺さってはいるが、しかし牛も闘牛士も人の顔もみんな「わたし」ではあるよなあ、と二条城の「台所」前の広場で、ミケルが水で絵を描き、それが消えていくのを眺めながら、わたし自身の「生命のかたち」を凝視するような気がしていました。