★ 日日行行 (81)
* 「なにか激しいものがそこを駆け抜けた。それだけは確かである。梳き起こされた地面、痕跡が走る壁。そしてそこで駆け抜けたものが、ほとんど『最初の人間』と言うこともできる暴力的な運動であったこともまた確かである」(『ミケル・バルセロの世界』p.61)
2013年だからもう4年前になる、拙著『ミケル・バルセロの世界』(未來社)の一節。というのも、昨夜、東京のセルバンテス協会で、ここで語られているミケル・バルセロとジョゼフ・ナジのパフォーマンス『パッソ・ドブレ」がアフリカ(マリ)の大地の上で繰り広げられたドキュメント映画を観たからだ。上映のあとには、2時間前に来日したばかりのミケルのトークもあって、トーク後に、いつものように激しく抱き合って挨拶したという次第。日本ではほとんどその存在が知られていなくて、それだからこそ、わたしはあの本を書いたのだが、もっとも古い太古の「絵画」の力を現代へともちきたらせているミケル・バルセロをこの機会に少しはみなさんに知ってもらいたいと強く願いますね。
かれとは、明日にでもまたゆっくり会うことができると思うが、公式には、(古い友人のリュシール・レイボーズが主宰している)「京都グラフィ」の一環として、今週金曜(14日)夜の京都・二条城のパフォーマンス(描くそばから絵画が消えていくというパフォーマンスらしい)、さらには16日の京都・文化博物館での対談(1時間)でおつきあいすることが予定されている。後者は公開のはず。
今週は、新学期で授業がはじまるのに加えて、NHK「クール・ジャパン」の収録、東大EMPの講義なども重なり、またもや「激しい」1週間になる。京都への二往復もあるし、はたして身体がもつのかしら?しかも春は海外からの友人たちがやってくる季節でもあって、今週の旧友のカトリーヌ・グルーをはじめとして、来月にはベルリンからはトビアス・チャンも来る。ドミニック・レステルも来日しているはずだが、まだ連絡がない。春は激しい。でも、メランコリーもある。激しく到来する時間のなかで、沈んでいく動かない心もまたあって。その「明暗」こそが、おもしろいと言おうか。
ともかく、新しい年度がはじまった。もう1年だけは、わたしも自分の身体に粘土の壺をぶちあてるように(「パッソ・ドブレ」のこと)、土の壁に自分の身体をのめり込ませるように(同様)、見えるものと見えないもののあいだで、どうしようもなく不器用なダンスを続けようか。