★ 日日行行 (78)
* 春の陽射しが降ってきて、もう「冬のfragment」は書けないね。「春のPaperoles 」に移行しないと。(Paperolesとは前項のカフカの断章についてその本のなかで言われた言葉)。
その「最初のひとつ前」は、これかな。
Le monde est beau; je souris(世界はうつくしい、わたしは微笑む)
Le vie est belle; je souris (生はうつくしい、わたしは微笑む)
Je suis beau (belle); je souris(わたしはうつくしい、そして微笑む)
これはじつは、Yasuo のマントラ(真言)。駒場で新入生にフランス語を教えていたときに、最初の授業でまず問答無用にランボーの一節を暗記させたりしたのだが、そのあとは、毎日!朝起きたときに、このフランス語の詩文を唱えるように指導していた。(かれらがやっていたかどうかは知らない)。男性形女性形の区別を意識させるという文法的なこともあるが、18歳で新しい言語の世界に参入するときに、それが同時に、かれら自身の世界/生/自分についての新しい目覚めであるように、と願ってのことだったけど。考えてみれば、駒場でのわたしの「教育」(なんてものがあったとして)の要諦はこのマントラに集約されているような気がしますね。
ついでに言うなら、ここでは、la vie (生)と je souris (微笑む)の最後をしめる「i」の音の強さにすべてがかかっている。Serge Wilfart がいうように「真実の垂直性」の音。この「i」こそ、「声」のすべての鍵なのだが、これが難しい。これに見離されてaphoneな、声なき生を耐えているということになるのですね。
フランス語を教えることがなくなってもう2年。このマントラを伝える機会もなくなりました。
そうそう、おかしいのは、青山学院で今年度、少人数の2、3年生を相手に「ラボ」という授業をやったのだけど、その学生たちが年度末につくった小冊子のタイトルが「SUO」。これはなにかというと「(Ya)suo」なのだという。「ラボ」のテーマはデザインで、かれらといっしょに、21−21デザインサイトや、わたしと関係のあるデザイナー事務所、さらにはいくつもの展覧会などを歩いたのだけど、その最後に「自分たちでデザインしてみなさい」という誘いに、かれらが応えてつくった小冊子。結構、センスがいい。こういう「物」が残るということは、大事なんですね。「微笑み」です。「微笑み」だけを世界に、生に、ひとに、ピュアに届けたいですね。