破急風光帖

 

★  日日行行 (76)

2017.03.02

* 「人間は振動する存在であるが、その生理学的楽器は変形され、歪曲され、放置されてしまっている。振動を発するものであり、受けるものである存在にとっては、楽器であるみずからの身体の振動する真理を再建することが急務である」(Serge Wilfart)

 いま、読んでいる、パリで買ってきた本の一節を掲げました。先月は、すばらしい声のパフォーマンスにいくつも出会ったせいか、「声」について考えています。抽象的に考えているというより、「声」こそが、わたし個人にとっても、最後に残った問題だよなあ、と思いながら。自分が「存在の歌」(それが本のタイトルなのですが)を歌えていないということを自覚します。わたしは、わたしの「声」にまだ辿り着いていない。「声」こそ、この世に生まれて、最初に獲得するものであるのに。まだそれを獲得していない。Etre aphone、かなしい言葉です。
 そのうえで、ようやく3月、春ですね。まだ寒いけど、光はやわらかさを増してきた。この時期になるとほっとします。いつも冬はわたしにとっては、厳しい季節でした。「慰安」どころではない(ランボーですけど)。まさに声を奪われ、ときには喘息の発作が起き(最近はすっかりなくなりましたが)、疲れはてていた50代のいくつもの苦しい冬をときおり思い出します。それにくらべれば、ずいぶん穏やかな冬をすごせるようになってきました。曇天なれど、海は荒れていない。さあ、しばらくのあいだ中断していた「書く」仕事をはじめなければ。歌う声をもたないわたしは、文字にリズムを仮託するしかありません。でも、文字を書く「手」をほんとうにもっているのかどうかもわかりませんが。

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