破急風光帖

 

☆  冬のfragment (4)

2017.02.03

* 「本を読んでいると、ときおり、ある沈黙の声が光となってあらわれると言われている。明らかに、その声は本から生まれるのではない。だが、軀がそれを出すのでもない。その声は統辞のリズムを纏っており、そして言葉を響かせることなく、しかし喉、息、唇を動員する。・・・そう言われている。《そう言われている》、それが意味するのは、それが聞えてくることだということだ。しかし誰も本を聞きはしない。(パスカル・キニャール「光の書」)

 まったく忘れていた。今週、駒場で、ーーわたしの願いに桑田光平さんが応えてくれたのだがーーフランス現代詩を読む小さな会が開かれて、みんなでルネ・シャールの詩を読んだのだったが、その準備をしているときに、昔(1990年)、わたしも参加してつくった『総展望 フランスの現代詩』(「現代詩手帖』30周年特集版)を取り出してぱらぱらと見ていたら、もちろんジェラール・マセさん、朝吹亮二さんとの鼎談、自分の論考、それにデ・フォレの「サミュエル・ウッドの詩」を翻訳したことはよく覚えていたのだが、キニャールのこの詩を自分が翻訳したことをすっかり忘れているに気がついて、少々、びっくり。最近、水声社から出た『約束のない絆』(博多かおるさんの訳、ただし原題は、Les solidarités mystérieusesなのだが)を読んでいたこともあって、あれは三年前だったか、桑田さんや小川さんらとパリのご自宅にまでおしかけてお話をしたのを思い出しながら、キニャールの名にひかれて頁をあけたら、自分の名前をみつけたという次第。キニャールを引き受けて、わたし自身がこの詩を選んで訳したということだよなあ、とその選択に「わたし」の詩を感じてしまいますね。「光の書」、もちろんこれはインドの説話集のタイトルから来ているとわたし自身が解説していますが、まさにわたしにとっての「詩」なるものにほかなりません。わたしも「光の書」と「闇の書」を表裏一体で書きたいですね。今日は節分、春に向けての覚悟ということにしようかな。誰もがその人だけの「光の書」と「闇の書」を、「もっている」というのではないな、「書いている」! そのエクリチュールー生。Ecriture-Vie, Oui.


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