★ 日日行行 (70)
*「すべての数学的構造は変化のない恒久的な存在である。数学的構造は時空中に存在するのではなく、むしろ時空が(特定の)数学的構造の中にある」(マックス・テグマーク)
やっと読み終わりました。本文469頁の『数学的な宇宙』(講談社)。去年の秋に刊行された翻訳です。年のはじめの1週間、世界の究極の「実在」を数学的構造とするこの本を読み続けました。宇宙論の現在、いや、物理学の現在がどのようなランドスケープなのかがとてもよくわかる本でした。わたし自身が考える4元的世界のうちの、まさに物理−数学的世界の究極的なマニフェスト。感銘を受けました(このような語り口で語ってくれる自然科学者は滅多にいません)。と同時に、この緻密なマニフェストに、わたし自身はどういう世界観を対置するのか、しないのか、チャレンジの鮮明さにおののくばかりです。
でも、これに対しては、やはりそれと対角線的な世界であるファンタジー的な世界をもってくるしかないのでは、とも思います。実際、このお正月は、おかしなことに、同時に、ミヒャエル・エンデとル・グインを読んでました。暮に、待ち合わせまでの暇つぶしに入った本屋さんで、エンデの『だれでもない庭』をそのタイトルに魅かれて買って読み、そうしたらどうしても『はてしない物語』を読まなければならないことになって、それも読みはじめた勢いで、その隣にあったゲド戦記の最終巻第6巻『アースシーの風』をじつはまだ読んでいなかったことに気がついて、そうだ、と買って読んでいたという次第。ゲド戦記はその最初の翻訳が出た76年からずっと読んでいて、ある意味では、わたしにとっての「秘密の宝」だったのだけど、40年も経ってとうとう完結したというのはおかしい。ゲドと同じようにわたしも老いて、いまだからこそこの最終巻の「味」がわかるなあ、という感覚でもありました。「森は歩いた?」 「いや、まだ」ゲドは答えた。ーーーこれが末尾ですが、いいですねえ。そう、わたしも「森」を歩かなくては・・・
かならずしもわたしの意図からではなく、偶然のように、最先端の物理数学的な世界と、〈こども〉インファンスの魂の風景であるファンタジーの世界との両方を揺れ動きながらの1000頁の読書(ほかにもW・ブレークの詩集とか、ルネ・シャールの断片なども読んでいましたが)で、この年があけたというのはなかなか意味深いかもしれません。そのような振幅(いや、4元にしないといけないのですけど)を継続することにこそ、今年のわたしの道があるようにも思えます。