破急風光帖

 

★ 日日行行 (56)

2016.09.15

*Parisは雨。夏の光はもうなく、グレー。

 Parisは、わたしにとっては、旅の場所ではないので、昨夜で、今回の旅は終り。IHSの「生命のかたち」のプログラムで、桑田光平さんのリーダーシップのもと、ドルドーニュ地方の洞窟絵画とボルドー、そして南仏のビオット、ヴァンス、ニース、アンティーブ、エズ、カップ・マルタンを回った旅も終りです。初秋というよりは、まだ晩夏の趣きのある「光」をいっぱい浴びて、放心できたのは幸福でした。でも、こうしてパリのグレーのなかで、旅の光を思い出していると、どこかで、なぜか「出会いそこなった」という感覚もあるかな。人とではありませんよ、「光」とですけれど。光はいつものように、官能的にやさしく、わたしを包んでくれたのではあったのに、その光の呼びかけに動かない水が心の奥にあったというべきか。なにかひとつだけ、最後のKeyが欠けていたというか。
 でも、この旅で得られたものは大でした。2002年のたったひとりの南仏の旅、去年11月の旅、それぞれで見逃していたものを見ることができてとても幸福でした。ド・スタールのあの「赤」!ル・コルビュジエのあのカバノン!時間のなかでの欠如がこうして補われる。だから、いま、ここで語っている今回のほんのわずかな欠如も、きっと補われるにちがいありません。そういう人生の長いスパンでの超ロゴス!!を信じられる歳にわたしもなっているということでしょうかね。
 そう、歳といえば、定年した老教授にとっては、今回のように、知的に個性的な、素敵な学生たちとこういう旅ができたことこそ、なによりの贅沢でしたね。ありがたいことです。
 しかも南仏では、わたしの教え子であるケイコ・クルディさん(表象文化論2期生)の全面的な支援でこの旅は成立していました。広場のレストランで夕食をとっていると、ケイコさんのご両親が「コバヤシ先生」と挨拶に来てくださる。こういう深い関係を育てることができた駒場という場所にもあらためて感謝の心がありました。ケイコさんが住んでいるビオットという村は、少しだけ、もう「わたしの村」。泊まったホテルの人たちもみんな覚えていてくれて、迎え入れてくれる。村の共同体のホスピタリティ。今週の火曜の昼、そこで食べた南仏料理の昼食、きっと今回の参加者の誰もがけっして忘れることのできない「味」であったと思います。

 さあ、わが心よ。「秋」の深さの方へ、Capを切りかえなければならないぞ!パリのグレーがそのための転轍機。ぎりぎりと音をたてて、錆びついたレバーを動かそう。
 


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