☆ 秋のbillet (1)
* 「一季節が終って、もう秋。だが、なんでこんなふうに、永遠である太陽を惜しむのか。俺たちが、忘却の覆いをはずして、神的な明けを見出すことに身を投じているのならなおさらのこと、季節という時間のうえに死んでいく人々からは遠く離れていなくては」。
もちろん、下敷きはランボーの「Adieu」だが、異訳超訳、勝手にだらだらと訳してみた。Paris という場所にいるあいだに、「秋のbillet」をはじめなければ、きっとこの秋、全然書かないだろうな、と思ったので、書き出してみたのだが、「秋」とくれば、やはりランボーのこの詩句が浮かぶ。で、それを枕に置いてみたというだけ。découverteを「忘却の覆いをはずして」とやってみたのは、もちろん「アレーテイア(真理)」にひっかけたからで、それはこの詩篇の最終行へとまっすぐにつながっている・・・そして、若いときから、次の「la clarté divine」という言葉に惹かれていた。lumière (光)という語ではなく、clartéであることに感動していたというべきか。divineという言葉もなかなか厄介だが、今日の気分としては、「神」ではなく、「神的なもの」を断固として確保したいということかな。つまり、神的なものとしてあるこの「明け」ということになる。まあ、この「明け」が、「夜」=「明け」という「夜明け」のほうに行きたいわけだが。そうすることで、「夏」と「秋」が、「夜」と「光」が、裏表で連続するということになるのかもしれない。
昨夜、デ・プレを歩いていて、いつも行くNicaiseというアート・ブックの書店に立ち寄ったら、そこに「死の病い」がディスプレイされていた。一応、デュラスのこの小品の日本語訳者ではあるので、入ってみたら、なんと「死の病い」の原本に、デュラス本人がひどい罵詈雑言の手紙の下書きを書きなぐった本が売りに出たそうで、いくらなの?と聞くと、もう売れました、2倍でね、と。カタログを見たら、希望価格は10,000ユーロでしたね。そのカタログの最後は、Wolsの特集で、かれが、1951年に若くして(38歳)死んだときの写真が出ていた。なにしろ、文なしでサルトルなどから支援を受けていたのだが、悪い馬肉を食べて発病、死が避けられないと悟ったかれが、ありったけのお金をはたいて、いいホテルに1泊し、翌朝、死んだというエピソード。端正な顔立ちのまま静かにホテルのベッドに横たわっているWolsの顔写真に感動しました。かれが亡くなったのは、9月1日、秋の光のなかでした。こういう刺激がもたらされるところがParisですね。
「秋」のきびしい香りが立ちのぼってくるようです。