☆ 夏のNota bene 11
2016.08.22
* 「これから来る夜はどんな夜なのだろう。/それはただ単に、絶対的な唯一の夜。/なぜなら。絶対でない夜などありはしないのだから。/一日の終りにやって来る夜は絶対である。」(パスカル・キニャール『秘められた生』)
信じてくれなくてもいいのだが、たまたま書棚にあった本を手にとって、何気なく開けたら、 それが、129頁、「第十四章 夜」だった。小川美登里さんの素晴らしい訳(水声社)。フランスの詩人作家たちがこうして「夜」を語りつづけているのを読むと、フランス現代文学における「夜」というテーマでシンポジウムでもオーガナイズしたくなるのだが、いやいや、それはもはやわたしの仕事ではない。
小川さんや、桑田さんらとショーモンの丘のキニャールのお宅を訪れたのは、2年前だったか。20代からかれの作品は読んでいるが、作品に魅惑されるというより、ほぼ同じ世代の人間として、こういうéciriture-vieがありうるのか、と,眩しいような、こちらの存在のあり方を問いただされているような気になったりする。だから、『秘められた生』も、ぼくもまたぼくなりの『秘められた生』を書かなくてはならなかったのに、という思いに誘われる。そう、「魂をもつこと、それは秘密をもつことである。/導かれる帰結。魂をもつ者はわずかである」、そして「愛、他者の秘密、それらは同じことだ」というかれの言葉に、わたしは、留保なく、同意する。