破急風光帖

 

☆ 夏のnota bene 9

2016.08.20

* 「開けることに成功したどんなドアも、別のドアに通じていて。ふたたびそれを開けることに工夫をこらさなければならないような、こういった精神の探索行においては、これらのことばだけが最後のいく部屋かのひとつの入り口でまごうことなく親鍵の姿をとるのだ」(『秘法17番』)

 朝起きて、特別な夢など見なかったのだが、最後のところに「扉」の記述があったな、と戻ってきていた。この引用中の「ことば」とは、「オシリスは黒い神」という「エレウシスの神秘な儀式」の究極のことばなのだが、そこを読みながら、昨年12月、山形で、イシスの詩をパフォーマンスしたわたしとしては、ならば「イシスは白い神」と呟いていた。
 だが、それはどうでもいい。わたしの意識は、むしろ「ドア」のほうに惹き付けられる。そして、「扉」のことを考えていて、いや、ぼくが扉を探して開けるのではなくて、ぼくが扉そのものなんだ、という認識が降りてくる。Doorway, yes, いつも人に言っていた、わたしはドア、それを開けるとあなたに別の部屋が開けてくる。そのなかにあなたが入ってしまえば、あなたには、もう、ドアは必要ではない、忘れてしまっていいのです、と。
 そうならば、しかしドアはどのようにドアを開けることができるのか。いつか、誰か(シビラかな?)に言われたことがあった、「あなたはドア、でもそのドアの上に、巨大なマンションのような構造物があって、あなたはそれを支えているのです」、と。鍵はどこにあるのか?親鍵はなになのか?Key. Clé, 鍵ーーわたしの口から苦しげに「k」の音が流出する。


↑ページの先頭へ